Month3月 2017

あなたの心を軽くし、コミュニケーション美人にする挨拶の法則

「自分からすすんで挨拶をしましょう」というメッセージ、標語をあちこちで見かけます。

では、「自分からすすんで挨拶をしている人」、あなたの身の周りにどれくらい、いますか?ほとんどいないのが実情ではないでしょうか。

私はボランティアとして、地域の公民館や学校などに出かける機会が多いのですが、公民館スタッフが、向こうから私に気づいて挨拶をしてくれる、ということは滅多にありません。

もっと残念なことには、学校の先生方の中には、こちらから挨拶をしても挨拶が返ってこないような方が少なくないということです。

「学校現場は疲弊している」なんて話を耳にしますが、教師みずからボランティアに挨拶することはおろか、挨拶を返すことすらできないとは…。よっぽど疲弊しているに違いありません。

教育現場や、公共機関の提唱する「みずから進んで挨拶」というのは、コトバだけがひとり歩きする、空虚なものであることが伺えます。

「最近の子は、ちっとも挨拶をしないのですよ〜」と嘆く大人は多いのです。ではその方自身はどうなのか?…見事に挨拶しないのです!そんな大人に子どもの方がすすんで挨拶するなんて、あり得ませんよね。

挨拶がこんなにも推奨されているにも関わらず、大人も子どもも挨拶をしない、できないケースが多い理由とはいったいなんなのでしょうか。

そのひとつに、「挨拶をしてもスルー(無視)される」という理由が挙げられそうです。

私自身、ボランティアとして、それなりに尽力していると自負する学校で、気づいてもらえない、挨拶を返してもらえないことに対し、激しいショックを覚えます。

「挨拶もしてこない!」と腹を立てる前にまず、気づいてもらえなかった、無視されてしまったことで、自分の存在を全否定されたように感じ、落胆してしまうのです。

怒りというのは、転じてパワーになりやすいのですが、ショック、落胆というのは、パワーにはなり得ません。力が抜けてしまうだけです。

すすんで挨拶できないことには、こうした落胆を何度か体験してしまったことが要因としてあるのではないでしょうか。

頭では、「挨拶することはいいことだ」とか、「挨拶は自分からすすんでするのが望ましい」と理解しており、子どもたちに「すすんで挨拶しなさい」なんてもっともらしいお説教だってできてしまう。

しかし、いざその状況になると、以前だれかから挨拶をスルーされた経験から、咄嗟のコトバが出て来なくなってしまうのではないでしょうか。

かつてのトラウマから、咄嗟の挨拶のコトバが出て来ない…。そんな人のために、私が常々実感し、実践してもいる、“挨拶の法則”をお教えしましょう。

「10人のうち、3人から挨拶が返ってこないより、100人に挨拶して50人から無視されることの方が辛くない」

打率としては後者の方が悪いじゃないか。そんなふうに思われるかもしれませんね。しかし、心の痛みというのは割合などではケアできません。重要なのは、数です。

想像してみてください。挨拶を返してくれたのが7人であることと、50人であること。その中にいくつ魅力的な笑顔があったか。

笑顔には、エネルギーを与える力が宿ります。50人の挨拶の中に笑顔が含まれる可能性は7人のそれよりはるかに多いに違いありません。

さあ、あなたも無視を恐れず、自分からどんどん挨拶して、コミュニケーション美人になりましょう。

あなたがみずから挨拶をしてくれる人だと分かれば、あなたと関わる多くの人がみずからすすんで挨拶してくれるはずです!

他者への無関心、好奇心…、どちらも行き過ぎればブスへの超特急

いくつになっても子どものように好奇心を失わず、あたらしいことにチャレンジする人は、実に若々しく魅力的です。

つい最近も90歳に近いご高齢ながら、目の見えない方のための朗読のボランティアをつづけるため、ボイストレーニングの講習を受けているという方に出会いました。

見事なシルバーヘアで、腰も少し曲がっておられるのだけれど、たいへんお元気で少女のようなキラキラした瞳が実に印象的。素敵なご婦人でした。

いくつになっても好奇心を失わないことはとても大切です。しかし、好奇心が強すぎる、というのは少し考えもの。

好奇心の行き過ぎを戒める、とてもよい題材があります。「青ヒゲ公」の物語です。

オペラや映画の題材にもなった有名な話ですが、元々は子ども向けの童話。

と言っても、実は歴史上の人物をモデルにした血なまぐさい話。
「好奇心を持ちすぎると酷い目に遭う」という教訓がまぶされたホラーストーリーです。

日本の昔話にもよく出てくる、「これこれをしたらいけないよ」と禁じられている場所にわざわざ立ち入る、というもの。

人間というものは、禁じられたことに限って興味を抱き、危険を感じつつも、自分の方からのこのこ出かけて行き、結果、生命を脅かされる境遇に陥ってしまったりする。

また、“獲物がかかるのを舌なめずりしながら待つ”側も、そうした人間心理をよく分かっていて、「けっして来てはいけないよ」などと、反語的なトラップをわざわざ仕掛けておく。

その手の危険な好奇心というものは、確かに持たぬ方が身のため。恐怖におののく形相では、どんな美人も台無し。まさにブスへの超特急!

ときには、見て見ぬふり、無関心で押し通すことも、大人社会では必要な場合があります。

あきらかに相手にとって状況が不利となる過失や失敗。バッチリ見てしまったけれど、「見ーちゃった、見ーちゃった!」とばかり、好奇心丸出しで、世間に広く知らしめようとする態度は感心できません。

それが正義感ゆえの言動であるにせよ、相手にとって迷惑千万な行為である以上に、あなたという人間の品格を下げてしまいます。そうしたときは無関心を装うのが大人のマナーです。

また、よく知りもしない相手の状況をあれこれと詮索し、差し出がましい口を挟む、というのも感心しません。発言者の言葉尻だけを捉えて攻撃したり、誰かの意見を真に受けて尻馬に乗ってみたり。

インターネットの世界では、よく見受けられますね。

何事にもクールで無関心なのがいいか、と言うと、やはりそうではありません。

もし、困っている人がいたら、その人が声に出さずとも状況を察知して手を差し伸べる。そんなときは無関心を装わず、気づいて即行動できる人であって欲しい。

困っている人を見て、私には関係ないわ、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめん、とばかりにしらんぷりを決め込む人間の表情というのは、とても醜いものです。

誰からも認められなくても、褒められなくても、たとえ気むずかしい当事者に煙たい目で見られたとしても…。誰かが困っている状況に気づき、行動すること。

それは、あなたの心の糧となり、あなたの表情を美しく輝かせてくれることでしょう。

興味本位に陥らないほどに、周囲に感心を持つこと、また、あるときは大人の余裕で無関心を装い、こっそり見過ごす心の余裕を持つこと。

そのどちらも身につけることが、心磨きにとってたいへん重要なのです。

周囲から“イタイ”と思われないための必死の努力はするだけ無駄!

かつて、30代女性向けトレンドファッション誌が創刊された当時、たいへん画期的だと言われていましたが、時を経た今、40代向け、50代向けのファッション誌も珍しくありません。

年代に合った装い方を海外事情にも精通したスタイリストや編集者など、プロの面々が懇切丁寧に教えてくれるトレンドファッション誌。

表紙には、「ファッションに悩める私たちの救世主!」というようなキャッチコピーが並んでいるのですが、実際に救世主たり得るのでしょうか?

若い女性のようにトレンドファッションに関心がないとされていた、40代、50代には、その世代をターゲットとしたファッション誌などありませんでした。

それゆえ、ファッションに関心の高い人たちは「自己流オシャレ」を自由に楽しんでいました。

ファッションにそれほどこだわりのない人は、若い頃の服を今も大事にしていたり、流行に左右されないベーシックな服を着たりしていたわけです。

しかし、世代向けのファッション誌ができたことにより、雑誌情報によって「つくられたトレンド」を真に受けてしまう層というのが若い世代同様に出現してきます。

こういった人たちは、自己流ファッションを楽しむ人や、トレンドに興味のない人たちに対し、「イケてない」「貧乏クサイ」というような侮蔑の視線を投げかけることに暗い悦びを見出す傾向があるようです。

ファッションは本来自己表現なのですから、TPOに配慮し、相手を不快にさせない範囲なら、いくらでも自由に装ってよいはず。

それがひとたび、トレンドファッション誌の手にかかれば、NG、禁止、御法度のオンパレード。

自身のワードローブにあるアイテムを、雑誌に登場する “オシャレ番長然”として自身満々なプロたちに「ダサイ!」などとこきおろされれば、面白くないに違いありません。

そんな恨みもあってか、雑誌がNGとするような着こなしを街中で見かけようものなら、同じ雑誌を愛読する仲間と、「見てあれ!」「超ダサイ!」などと盛り上がること必至。

10代、20代ならまだしも、誰かの決めつけた「イタイ」を真に受け、身内と黒い笑いで盛り上がる40代の方がよっぽどイタイように思えるのですが…。

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」

元米大統領リンカーンのこのコトバは、男性に向けて発されたものだそうですが、男女問わずに共通することだと思います。

40にならなくても、自分がしたいと思うファッションにもっと自信を持っていいと思うのです。

ファッション雑誌に登場する“オシャレ番長たち”はなるほど、トレンド界の重鎮かもしれません。しかし、そのトレンドというのは、「購買を煽る」ためのものにしか過ぎません。

私たちが“購買の奴隷”である必要はまったくないのです。巷に溢れる「イタイファッション」認定に怯える必要などまったくナシ。そんな努力するだけ無駄というものです。

大抵の人の「イタイ」という感覚にはたいした根拠もないもの。
雑誌に書いてあったから、オシャレ番長がそう言ってたから…。その程度の認識に過ぎません。

自分がゴキゲンになれる好きな服を着て出かけるのが、表情美人の秘訣。

それがたまたま、オシャレ番長が提唱するオシャレな着こなしだったら、…それはそれでいいではありませんか。

ただ、個性的着こなしのファッショニスタへの敬意はくれぐれもお忘れなく!

心に余裕がないと簡単に人間関係はヒビ割れ、あなたをブスにする

ボランティア活動を主とする市民団体や、PTA役員をされている方々にお話を聞く機会があります。

そこで感じるのは“人手不足”、あるいは“高齢化”の問題。

若い世代、働き盛りにボランティアやPTAのなり手が少ない。サークルの立ち上げ時はみな若々しく元気だったが10年、20年経って、メンバーが年を取った。介護で抜けてしまった。若いメンバーが増えない、等々の悩みはどこの団体にも共通しています。

慢性的人材不足に悩むサークルやPTAは、社会を担う若い世代のワーキングマザー&ファザーにも、活動に加わって欲しいと考えています。

「できる範囲の参加で構わない」「会議は仕事帰りでも間に合う夜に行う」「土日中心の活動」などと従来のやり方を改善し、あの手この手で勧誘しますが、結果は芳しくありません。

仕事帰りで疲弊した上、会議にまで参加するなど土台無理。平日は働きづめで土日くらいゆっくりしたい。溜まった家事を片付けたい、家族サービスもしたい…。

ボランティアやPTA活動に費やす時間など捻出できない、という断りの理由は至極真っ当です。

働かざる者食うべからず。仕事に従事し、その対価としての賃金を得なければ、人は暮らしていけないからです。

口に糊する程度の働きではダメ。将来有利に生きていくために子どもに高水準の教育は不可欠、ワーキングマザーとして恥ずかしくない服やメイク、つきあいをこなすためにそれなりの軍資金も必要…。

どんなに働きづめで働いても「生活が満ち足りる」ことはなさそうです。

あれもして、これもして、周囲の生活水準についていくためには、もっとバリバリ働いてお金を得なければならない。

お金の余裕をつくるために働くことで、心の余裕をなくしてしまう若い世代が多い気がします。

それが本当に自分や家族の欲しているものかどうか分からないまま、ただ周囲に負けないようにと肩肘張って必死で日々を過ごしてれば、心に余裕がなくなるのも当然です。

そのような余裕のない心に、「自分や家族以外の人のために尽くす」などという発想など生まれっこありません。

しかし、私たち人間は所詮ひとりでは生きていけない。家族の中だけで生活は立ちゆかない。成り立たないのです。

心に余裕がない人は、あらゆることを疎かにしがちです。子どもがトラブルに巻き込まれる可能性も高く、それを冷静に対処する余裕がないために、修復不可能なほど人間関係を壊してしまうようなケースも多数見ています。

心に余裕のないワーキングマザーは表情もこわばり、子どもやご主人の心もどんどん離れていきます。ブス道、まっしぐらなのです。

そうなってしまう前に、自分や家族以外の周囲、地域に目を向けてみませんか。

あなたのできることは実は無限にあります。あなたの助けを必要とする人も大勢います。家族を大切にしたいなら、家族ぐるみで参加できる市民活動、ボランティアもたくさんあるんですよ。

そこで生まれる交流は、余裕のないあなたの心に変化をもたらしてくれるかもしれません。

たとえば、「お金が足りないから必死で働く」という考えを、「工夫してお金を使う」考えに改める。それだけで心にほんの少し余裕が生まれそうですよね。

仕事関係だけでなく、年齢や職業も多種多様な人々と交流することで、そんな賢いヒントを得ることもあるかもしれません!

心に余裕のないときにこそ、ボランティア。実はオススメなんです。

他人を不幸へと導く忌まわしき存在、自己充足できない“エセ美人”

「美人は得か損か?」

私は子どもの頃から常々、「美人は損だろう」と思っていました。「同性には妬まれるし、異性からモテすぎてストーカーにつけ狙われる可能性も高そうだ」

事実、子どもの頃は、美人な妹が、美人とほど遠い姉や、友人から妬まれ、虐められるという少女マンガをよく読みました。

読んだあとには、「こんな目に遭うくらいなら、私、美人じゃなくて全然いいや」と安堵のため息を漏らしたものです。

実際のところ、美人は得なのか、損なのか。それを実に真面目に、経済学の権威が20年に渡る研究成果をまとめあげた、という本が話題になりました。タイトルには「美貌格差」なる身も蓋もないコトバが…。

その本によれば、美人というのは、美人でない人より、生涯賃金が2,700万円も高いという結果が出たのだとか。

「美人は絶対に損であって欲しい…」はそうでない女性からの切なる願い。実際には美人であるということは、かなりのお得。

しかし、今現在、「キレイに、可愛く」魅せることはメイクやファッションである程度可能ですし、高い代価を払えば、顔の造作、ボディラインにしても自分の理想形にいくらでも近づけることは可能です。

「美人になって得をしたい!」人にとって、お金さえあれば、いくらでも美人はつくれてしまう時代なのです。

そうやって、外見を理想型に近づけて“美人”を手に入れたところで、それを上手に活かすことのできない“エセ美人”がこの世にはたくさんいるようです。

他から秀でたかわいらしさ、美しさというものは、人の評価を“甘く”しがちです。

「このコ、かわいいから奢っちゃおう。おまけしてあげよう」という心理が自然と異性に働くものなのです。

そうした人からの好意を感謝して素直に受け取れるのが“美人”だと私は思います。

“エセ美人”は、そこで疑念を抱してしまうのです。「ライバルの○○ちゃんはもしかしたら私よりよっぽど高いもの奢ってもらってるんじゃないかしら?」「この人、私のことを軽く見ているかもしれない」などと…。

“エセ美人”は自分の美しさにはそこそこ自信があります。自分より美しくない人を見下したりすることで得た、実にうすっぺらい自信です。

周囲の人には、「私ってこんなにスゴイのよ、モテるのよ」ということをあからさまにアピールしたりします。そうやって四六時中自慢していないとうすっぺらい自信が保てないからです。

そういう“エセ美人”の自己アピールに騙されて、「なんてイイ女だ」などと鼻を伸ばすような、おめでたい単純な男性も少なくはないですが、聡明な人ならば、そうした“エセ美人”をすぐに見抜きます。

適当にあしらわれてしまうのがオチでしょう。そこで自分の“エセ美人”ぶりに気づけばよいのですが、そうはならないのが哀しいところ。

自分よりちやほやされているように見える“美人”を妬み、あることないこと周囲に吹聴してみたり、意地悪したりしてしまう…。

“エセ美人”って他人を不幸に導く、つくづくハタ迷惑な存在なのです。さらに言えば、自分もちっともシアワセではないのです。

“エセ”が本当の“シアワセ美人”になるのは簡単。きちんと自己充足ができるようになればいいのです。

好意を素直に受ける、他人といちいち比べない、今、自分の置かれた状況に感謝する…。

それだけで、あなたの心持ちは変わってきます。その心の有り様は、心の鏡となる表情に如実に表れてくることでしょう。

あなたの言動、行動は美しく磨かれていき、必ずや多くの人を惹きつけることになります。

「忙しい」をいいわけにするたび、あなたはまた一歩ブスに近づく

「忙しい忙しい」が口癖の人、あなたの近くにもひとりやふたりいるのではないでしょうか?もしかしたら、あなたもそのうちのひとり?

「忙しい」を日常的に発する側からすれば、これほど便利なコトバはありません。「忙しい」といういい訳さえあれば、大抵の面倒ごとはスルーできる気さえするからです。

率直に事実を申し上げましょう。「忙しい」というコトバを発するたび、あなたはブスに近づいていくのですよ。

なぜって?それは“時の呪い”を受けてしまうからです。

ウソだと思われるかもしれませんが、実は“時”というものは誰にでも平等に振り分けられているというものじゃないんです!

ある人にとっての“時”はゆるやかな微睡み、またある人にとっての“時”は光陰矢の如く走り抜けてしまうもの。

考えてみてください。同い年なのに、いつも目がキラキラしてとても若々しく見える人と、くすんだ顔色、つまらなそうな表情で人生終わりかけの老人のような人が、…いたりしますよね?

それは、その二人には同一の“時”が流れていないことを証明することに他なりません。

どうしてそのような差が二人の間に生まれてしまったのか?その理由こそが、「忙しい」というコトバなのです!

「忙しい、私には時間がない!」そのようなコトバを頻発することによって、“時”は、「そうか、キミにとって“時”はないも同然なんだね!それではサラバ!」とそのコトバを体現するかの如くさっさと走り去ってしまうのです。

時間はある、そこにちゃんとある。「忙しい」を連発して、それを有効活用できないのは、あなたの処理能力の低さ故なのです。

自分は忙しいから、あれもできない、これもできない、と自分や他人に言い訳ばかりしていると、そのコトバに呼応するかのように時間というものはどんどん縮んでいってしまうもの。

すべきことをやり遂げぬうちに、どんどん時間が過ぎ去っていってしまいます。

反対に、「やらなきゃならないことは今も結構あるんだけれど、…でも、これをやったら楽しいかもしれない!誰かの役に立てたら嬉しいな!」

そんな気持ちで動き出すと、…あ〜ら、不思議!時は思いがけずゆったりと流れていき、「あれ?まだこんな時間?じゃあ、ついでにあれもこれもできちゃうわ!」とさらなる余裕さえ生まれてくるものなのです。

種明かしをすれば、たとえ多忙な状況にあったとしても、さらに新しい何かに興味を持ち、前向きに挑戦しようとすることで、自身の処理能力が飛躍的に上がっていく、…という、そういう話なのですけどね。

その際、無理は禁物。「楽しいかも」「誰かの役に立ったら嬉しい」そうしたポジティブな気持ちで臨むことこそが美人へ繋がる道です。

「頼めばなんでもやってくれる便利屋みたいに思われるのは面倒。当たり障りなく“忙しい”と断ることも大事」そんなふうに思われる方もいるかもしれません。

無理をしないために、ときにはそのようなスタンスを貫くことも、もしかしたら必要なのかもしれません。

しかし、周囲から「あの人は非協力的だから」と決めつけられ、誰からも頼られないというのは淋しいことではありませんか。

誰かの力になろうとすることは、あなたの可能性を広げていくことなのです。

あなたの力を必要とする誰かのために一肌脱ぐことで、その努力をすることで、あなたの処理能力は飛躍的にアップすることでしょう。

当事者からは感謝され、周囲の人からは一目置かれ、あなたの心には確かな自信が生まれていきます。それはあなたの表情を一段と輝かせることに繋がっていくでしょう。

年齢も痩せもデブもいいわけにできない!誰もが美人になれる根拠

BMIというコトバを耳にされたことがあるでしょう。体重÷(身長(メートル)×身長メートル)で出された数値がBMI値となります。

BMI値22が平均体重とされる数値で、適性体重とされる範囲は18.5〜25未満。生活習慣病その他の病気にかかりにくい理想的、かつ健康的数値とされています。

しかしながら、ここ最近の20代〜30代の女性たちの多くが、痩せすぎを示す18.5よりかなり低めのBMI値である低体重傾向にあるのだそうです。

ファッションモデルやタレントさん、女優さんたちは大抵スリムですよね。痩せ気味傾向の芸能人に憧れる傾向は、日本に限らず、先進国と呼ばれる国々に共通するようです。

若い世代に拒食症を誘発させる危険性から、フランスではBMI値18以下のモデルを起用すると、法律によって罰金や禁固刑に処されてしまうそうです!

ファッション大国フランスでは政府が介入してくるほど、若い世代の“痩せ願望”は深刻ということですね。

国が介入してくるほどではないにせよ、日本でも状況は似たり寄ったりかもしれません。

痩せていなければダメなのか。太っていたら可愛くないのか。

太っている、痩せているは女性的な魅力とは関係なく、その人の持つ骨格や、顔、手足のバランスなどから、客観的に見て好ましい体型というのがあるわけです。もっと言えば、体型の好みも人それぞれ。

脂肪吸引など芸能人の施術も数多く手がけてきたという有名な美容外科医は、自他共に認める「ポッチャリ好き」。世の女性はもう少しふくよかな方がいい、と常々提言しています。

世の中にはポッチャリ好きの異性も少なくはないのに、自身は太っている自分を好きになれないし、そういう奇特な男性との出会いもない…。

そうしたネガティブな感情は必ずや表情に表れるでしょうし、出会った人に「自信のなさ」や「卑屈な態度」を感じさせ、実はそこから無限に広がる可能性もあった交友関係を自ら狭めたものにしてしまう危険性大です!

もし、あなたが元気になれるというなら、自分に自信が持てるなら、たとえ適正体重の範囲内であってもダイエットしてみる、それは決して悪いことではありません。

しかし、「痩せれば即モテ」などという幻想は抱かないことです。太っていても、痩せていてもモテない人はモテない。目鼻立ちの整った、一般的に美人と言われるような顔立ちで、スタイルもいいのに、モテない人だっています。

「美人は理想が高いから」なんていう人がいますが、「私のルックスに釣り合うオトコはいないわ」なんて言ってる理想の高すぎる美人と、自分の容姿にまったく自信が持てない人というのは、実はあまり大差ないのではないでしょうか。

条件つき(理想)の異性にシアワセにしてもらうことと、「痩せていたら」「美人だったら」と条件つきのあなたを愛してくれる恋人、…どちらも似かよっているように感じませんか?

大切なのは、あなたから「愛すること」、あなたの方から「相手をシアワセにしてあげたい」という気持ち。

その意識を持つだけで、あなたの表情は見違えるほど変わってきます。良縁の可能性は今までとは比べようもないほど広がってきます。

太っている、不美人である…。それはモテないことのいいわけになどなりません。また、痩せていること、顔立ちが整っていることが、必ずしも愛される、シアワセになれる条件とは限らない。

大事なのは、自分以外の人を大切に思う気持ち。そんな心から滲み出る、ハッとさせるほど美しい表情なのです。

あなたも表情美人になって素敵な恋をゲットしませんか!

大切なのは“目ヂカラ”ではなく、口ほどにもの言う“瞳”の美しさ

70年代に流行し、80年代から90年代初頭のナチュラルメーク全盛時代にかけては下火だった、アイラインくっきり、つけまつげバッチリのアイメーク。

“目ヂカラ”を強調し、男性を惹きつけるとして、ここ10年ほど若い世代を中心に一大ブームを巻き起こしましたが、…2016年現在、そろそろ“古いメイク”認定されつつあるよう…。

あまりに目ヂカラを強調しすぎれば、メイクを落としたスッピン時とのギャップが大きすぎ、あえてそれをネタにするような人もいないことはないですが、やはり不自然には違いありませんよね。

80年代の人気アイドルたちのブロマイドを改めて見てみましょう。どのような感想を持たれますか。もしも10年前だったら、「目が小さくて地味な顔だな〜」などと思ったかもしれません。

しかし、30年ほどの時を隔てて当時のアイドル写真を眺め直した結果、「むしろ可憐で可愛らしい…」というような感想を抱くのではないでしょうか。

とくに注目すべきは、瞳の輝き、なにか訴えかけるように、うるうるした目元…。目は口ほどにものを言うのです。

長らく少女マンガなどで描かれてきた、ヒロインの目元というのは、大きく見開かれ、つけまつげをバッチリ施したフランス人形のような目がお定まり。

しかし、なんと言ってもいちばんの特色は瞳の中にキラキラ瞬く“お星様”。これに尽きるのではないでしょうか。

70年代から80年代にかけてのアイドル撮影には、瞳の中に星を瞬かせるための工夫がなされていました。

プロのカメラマンはアシスタントにレフ板という道具を持たせ、その角度を調節することで、アイドルの瞳に星を出現させるマジックを披露していたのです。

「レフ板さえあれば、魅力的なキラキラ瞳がつくれる!」…はい。その通りです。しかし、パンピー、すなわち一般人であるところの私たちは、常にアシスタントにレフ板を持たせるわけにもいかず…。

最近では、便利なグッズも出現しています。表面にお星様が描かれたコンタクトです!

ここ数年、コンタクトの進化はめざましく、今やなれない瞳の色はない!と断言できるほど。表面の模様も、星だけでなく、猫型、ハロウィン柄、なんてものまで存在するほど…。

いえいえ、私が言いたいのはそのような便利グッズをつかって、目ヂカラより80年代アイドル顔負けのキラキラ瞳を手に入れましょう!という話ではありません。

私がお伝えしたいのは、心の中にこそレフ板を、ということなのです。心の中のレフ板は、アシスタント要らず。無用な賃金も一切発生いたしません。

レフ板とは、光を反射させ、瞳を美しく輝かせるもの。心の中のレフ板は、実は“好奇心”からできています。

なにかに夢中になること、ひたむきに頑張ること。それによって瞳はキラキラ輝きを増すのです。

なにごとにも関心が持てず、無気力であれば、瞳はうつろにさまよいますし、憎しみに燃えた心は、瞳に怒りをたぎらせ、また、心に憂いがあれば、瞳は暗く翳ります。

確かにそれはある種の魅力として、人を惹きつける要素になったりすることもあるのですが…。いつまでも翳ったままだと周囲もだんだん暗い気持ちになってきますよね。

沈みがちな人に、「とにかく笑って!」なんて無理強いしても、ぎこちない笑みしかつくれないもの。それよりも、興味のあることを話してもらう方が断然オススメ。

好きなことについて語る人の瞳というのは本当にキラキラと元気に輝いているものなんですよ!

“美しさ”を手に入れるために、ほどほどの嗜好食・悪食は必要!

日本が誇る名だたる文人たちの“悪食”について紹介した著名人のエッセーを学生時代に興味深く読んだ記憶があります。

衝撃だったのは、「我が輩は猫である」でお馴染みの夏目漱石のまんじゅう茶漬け。本人、たいへん気むずかしい人だったと記憶していますが、実は極めつけの甘党!?

まんじゅうにお茶をかけるだけならまだ、「まんじゅうを食べながらお茶を飲めば、口の中では結局同じことになるからね…」と一般人にも納得が行くものです。

しかし、実際のところ、漱石は、白飯の上にまんじゅうを乗せてお茶をかけて食していたらしい…。うわあ…!

数年前に亡くなった、独自の世界観で描かれたミステリーや耽美小説が若い世代に大人気だったある有名作家の好物は、コンビーフ炊き込みご飯。

ただでさえ油分の多いコンビーフと一緒にバターも混ぜ込み、ご飯を炊きあげるというから、「牛脂×バターって…、ええ?それ、ホントに大丈夫なの…?」と無性に心配になってきてしまいます。

その作家さん、亡くなる前に長期入院して大手術を経験しているそうなのですが、その闘病記も書いておられます。その闘病記に書かれている食事内容もなかなかに衝撃的。

「病院食が薄味でまずすぎる…!」とフライドチキンやポテト、ビッグサイズのハンバーガーなどを家族からこっそり院内に持ち込んでもらい、夢中で食べていた記述が…。それ、病院的に大丈夫だったんでしょうか?

しかし、そうした悪食すれすれの嗜好食に偏った生活が、あの精力的な作家活動に結びつき、独特な世界観を生み出す源になった?…などとも思えるのです。

さて、一般には美容の大敵とも言われる、そのような悪食・嗜好食。

もともとの生活がヘルシーでそういったものとは無縁に過ごしてきた、というような人もいるかもしれませんが、世の中のほとんどの人は、ダイエットの必要性に駆られたとき、「痩せた〜い!でも食べた〜い!」というアンビバレントな気持ちに翻弄された記憶があるはず。

ここで好物を我慢することができれば体重減に繋がる…!とばかりにストイックに嗜好食を避けることが大事なのでしょうか。

私はそうは思いません。「そんなに食べたかったら、いっそもう、食べてしまえ!」というのが私の信条です。

一見ヘルシーな健康食、と見えるものも、そればかりを大量摂取していたら、結局のところ、栄養が偏ることになり、ヘルシーとはいえない嗜好食ばかり食べていることと、さほど大差はなくなってきます。

低栄養というのもまた、肥満の一因となってしまうことが多いからです。

「バランスよく食べなさい」というのは、ダイエット時に限らずとにかく、よく聞かれるコトバですが、そのバランスの中に、悪食・嗜好食を一部加えて満足感を与える、ということも実はダイエット成功のひとつの鍵なのかな、と思っているのです。

我慢しすぎてストレスを溜めるのは本当によくないことです。結果的に何キログラムか痩せたにせよ、ストレスは肌コンディション悪化という形でにたちまち現れてきますし、表情も暗くなりがち。

それよりは適度に好きなものを食べてリラックスした方が、よっぽど効率的にダイエットできるはずだと思うのです。

もちろん、どんなものでも食べ過ぎはよくないですよ?

アメリカ人、フランス人を見習う!コスメポーチダイエット化計画

こんな話をご存じでしょうか? 各国の女性に「もし、コスメを一種類だけ持っていくとしたら何を選ぶ」と尋ねるのです。

アメリカ人はマスカラ、フランス人はチークを選ぶ、と言われています。

さて、では我らが同胞、日本人は?

実は日本人は、先進国と言われるどの国の女性よりスキンケア命の民族。コスメアイテムをどれかひとつを選ぶ、ということが非常に難しいのだそうです。

同じ日本人でも30年前の10代〜20代の若い世代はとりあえず、リップカラーを持っていたと記憶しています。少し前の“目力”ブーム時代ならきっとアイライン、…しかし、それは肌のピチピチした若い世代だから、一本選べただけのこと。

お肌の曲がり角を迎えた30代以上なら、「どれかひとつ?ひいいいい〜勘弁して下さい〜」と情けない声を出すこと必至でしょう。美容に関心の高い人ならなおのことです!

日本国内には、海外ブランド製と称したありとあらゆるスキンケアアイテムが揃っていますし、ドラッグストアなどでわりと安価に手に入れることもできます。

しかし、海外旅行をされた人ならご存じのように、それらのアイテムは実際には本国では使われていないことがほとんど。海外ブランドの名を冠しながらも、実は日本人の肌のためだけに開発された日本専用商品なのです。

海外のドラッグストアに出かけて、日本よりコスメアイテムが少ないことに衝撃を受けた、という方も少なくない思います。

女優やモデルたちならばともかく、一般の人たちは、限られた数種類のコスメアイテムのみでお手入れしていることが多いのです。

「コレ一本で!」というようなキャッチコピーで、オールインワン化粧品というものも売られていますが、実際に「コレ一本で!」済ませている人は少数派であるというデータもあります。

実際に一本で済ませているような人は、「貧乏くさい」などと陰口を聞かれてしまうこともあるとかないとか。

日々、丁寧なスキンケアを重ねることはけっして悪いことではありません。

自分の肌に合った、使用感のすぐれたコスメを使えば、確実に肌は美しく保たれますし、もとから肌質がよい上、お手入れに余年のない東洋人の肌は「ベビースキン」といって欧米人にとって賞賛の的だったりもします。

しかし、「愛用のスキンケアライン、ひとつだけでも欠けたら、肌コンディションが悪くなってしまうから、みっともなくて外出もできない…」などというネガティブ暗示にかかることは心のために、お肌のために決していいことではありません。

アメリカ人、フランス人のように、究極のコスメアイテムをどれかひとつを選べ、とまでは言いません。

アクシデントがあり、お気に入りコスメが使用できないようなときでも楽しく過ごせるように、コスメポーチはパンパンにせず、少しダイエット、スリム化してみる工夫も必要かも知れません。

私がとくにオススメするのは、「しない美容」。普段からメークアップにとことん手を抜きまくる方法です。

いつも完璧なメークアップをしている人は、不測の事態がおこり、完璧な顔に仕上がらないとき、周囲から、「あれ?今日のあの人全然イケてない…?」「劣化?」などと思われてしまいがち。

しかし、普段から、たいして手をかけていなければ、そのような残念ギャップを与えることはありません。

その変わり、ここぞ!というときだけ、気合いをいれたメークアップをすれば、「あれ?あのひと、こんなに美人だったっけ?」と周囲の人に新鮮な驚きを与えることができ、いい気分になれること請け合いですよ!

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