Month4月 2017

老人ホームの恋愛事情で分かった!“美しさ”が世界を平和にする件

かつて人気アイドルだった女性歌手が、人気アイドル男性との交際の破局会見をしたとき、「生まれ変わったら一緒になろうね、って」という名言を放ったことがありました。

私も若き日に、とても好きだったのに、残念ながら恋人関係になれなかった男性から、「将来、老人ホームに入ったら、つきあおうね」という名言を放たれ、あっさり振られたことがありました…(苦笑)

当時、「ありえね〜!」と言って仲間うちでの笑い話だったのですが、その与太話がにわかに現実味を帯びてきましたよ!

いえいえ!私がそろそろ老人ホームに入るという話ではなく、その男性から最近アプローチがあったというわけではもちろんなく(!)

最近の老人ホームの恋愛事情がものすごいことになっている、ということなのです。

近隣には超気滞在型のオシャレな有料介護施設(ケアホーム)がいくつもあります。

定年退職を迎えたばかりで、まだ足腰も丈夫、頭の方もすっきり明晰。介護が必要な状態ではまったくないのにも関わらず、将来のことを考えて、ご夫婦でケアホームに移られたという方もいます。

長年、ご夫婦で趣味のギター演奏を楽しまれていた方でもあるので、居住者でありながら、ボランティアでギター演奏の慰問活動をされているのだとか。

そんな若々しく元気な方々が大勢入居されているとなれば…。

男と女があるところに、恋の花が咲かぬわけがない。

そのケアホームの恋愛事情までは把握していないのですが、昨今の老人ホームというのは比較的元気なご高齢者が多く入居されており、そこでは恋愛模様がさかんに繰り広げられているそうなのです!

少し前までは入居者のうちの女性比率はきわめて高いものでした。女性は男性に比べて寿命が長い傾向にあるからです。

女性の比率が高ければ、数を頼って女性の力も当然強いもの。男性陣は比較的おとなしく、若かった当時とは立場が逆転しているかもしれませんね。

最近は、男性の寿命も長くなり、男性入居者も少しずつ増え始めました。

もしも、新入居者が、イケメンのおじいちゃんだった場合。

おばあちゃんたちは、オシャレしたり、濃いめのお化粧をしたり、…イケメンおじいちゃんの気を引こうと俄然張り切るそうなのです。

若い頃のように、イケメンおじいちゃんをひとり独占しようとして、女同士足の引っ張り合いをするなど、見苦しい真似はしません。

アイドルのコンサートにやってくるファンよろしく、行儀正しく、おばあちゃん同士で和気藹々。イケメンおじいちゃんの“美”によっておばあちゃんワールドに潤いと平和がもたらされるという次第です。

一転、男性入居者が複数いるケアホームに美しいおばあちゃんが入居することになったら…。

今度は反対に、その美女を奪い合う、おじいちゃん同士の熾烈な戦いが繰り広げられるのだとか…。

おじいちゃん、おばあちゃん、どちらもお元気ですねえ。

年をとっても、心を動かされる“美しさ”というものが存在するということ。

そして、年を重ねて培った“審美眼”、“美意識”は、かつての基準とはまったく違ったものになっているかもしれません。

若い頃、あんなにモテた人が、今や全然イケてないとか。若いときはイマイチだった人が、年を重ねたことで魅力を増してくるとか…。

「非モテ」「彼女いない歴が年の数」なんて淋しい発言を繰り返す若き男性たちにも、ケアハウスで「人生最大のモテ期」を体験できるかもしれないですよ。どうぞ老齢期をお楽しみに!

愛の形はひとつじゃない!心と体の性の一致しない人の“美”について

LGBTというコトバを最近よく耳にします。これは性的少数者を示す頭文字を取った造語です。

Lはレズビアン、女性を愛する女性のこと。Gはゲイ、男性を愛する男性。この2つは性的指向が同性へと向けられています。

Bはバイセクシャル、男性、女性、どちらも愛せる人。最後のTはトランスジェンダー。心とカラダの性の一致しない人を指します。

このトランスジェンダーに対する支援が近年、高まりを見せていますが、そのことに、わずかなひっかかりを感じてしまうのです。

心と肉体の性別の違和感を解消するため、適合手術を受ける。あるいはホルモン剤を投与する。

理解ある医師の元で安全な治療を受け、「やっと本来の性に戻れた!」マスコミの取材を受け、喜びの声を伝える、元トランスジェンダー。

その人の性的指向が男性から女性、女性から男性に向けられるものなら、同性愛を「正しい夫婦の形ではない!」として認めない一部保守系の人々も受け容れ、支援に異を唱えることはありません。

しかし、心と肉体の乖離を解消した上で、同性への愛を選んだとしたら、保守派は支援に難色を示すことになるでしょう。

同性愛指向を持つ男子が、LGBTについてあまり知識を持たない大人たちから、「男が好きならば、女性になればいい」というような間違った認識を植え付けられることはないでしょうか。

男子はよく分からないまま、実際には必要のなかった適合手術を受けさせられる羽目に陥らないか。そんなふうに考えてしまうのです。

世間的にトランスジェンダーに関しての認識は深まりつつある気がします。

「自分(男)が男しか愛せないのは、実は心が女だからだ」

そう考えるのは、一般常識に凝り固まった人にもわかりやすい事例だからです。

しかし、男性が好きな男性が、必ずしも女になる必要はないし、女っぽく振る舞う決まりもないのです。

逆も同様。女性が好きな女性が、男性っぽく振る舞う必要はないし、少女歌劇団のように「男役・女役」を振り分ける理由もありません。

もし、同性愛に対し差別がない世の中なら、トランスジェンダーという存在はここまで明らかにされなかった、と思います。

もし、同性愛に対する差別のない世界だったら。

もしかしたら、今現在トランスジェンダーと診断された人のうち何パーセントかは、適合手術もホルモン投与も必要なく、生まれついた性を素直に受け容れられるのではないか、と思うのです。

好きになった人がたまたま異性だった、同性だった。ただそれだけ。
性的少数者LGBT、などと括る必要も、区別する必要もないのです。

男として女の恋人と暮らし、生活費を稼ぐために女として男を騙し、金を奪っていたという、トランスジェンダーの窃盗犯が話題になったことがありました。

もしかして彼女(彼)は、女の恋人のためにわざわざ男を装っていたのでは?と私は思ったのです。

男である自分が本来の自分で、犯行がバレないよう、女装していた、というのがことの真相かもしれないのですが…。

お伝えしたかったのは、愛のカタチは「異性から異性に向けた」ものだけではないということ。

私のトランスジェンダーに対する理解は間違っているかもしれない。しかし、たまたま愛した人のためだけに、“美”の基準を変えて欲しくはない。

できることなら、愛する人には、ありのままの性の自分を受け入れてくれる人を見つけて欲しい、と強く思うのです。

古今東西傾国の美女たちから学ぶ!殿方を惹きつけるトーク術

若い頃、関西出身の友だちから、こんなことを言われたことがあります。「東京では可愛い女の子やカッコイイ男の子がモテるみたいだけど、関西ではトークが面白いコじゃないとモテないのよ」

アンタは話が面白くないからモテない、ということだったのか、可愛くないけど、話さえ面白ければ(関西なら)チャンスはあるよ!ガンバレ!という意味だったのか…。

関東・関西の違いに限らず、ホステスさんやキャバクラ嬢はキレイなだけ、可愛いだけではダメ。店のナンバーワンと言われる女性は話し上手、聞き上手でないと勤まらないと言います。

地位と権力を持ち、さらに教養の高い男性なら、当然、相手をする女性にもそれなりの頭の良さを求めてくるでしょう。国の統治者、国王や、国家を預かる元首などであればなおのこと。

高い権力を持ち、意のままにできる財力のある男性はたいてい、「色を好む」。つまり美女が大好き。大奥の文化など、まさにそれを具現化したものと言えましょう。

そういった場所に見目麗しい美女たちが集められたことは容易に想像がつきますが、長きに渡って寵愛を勝ち取るのは「頭のよい女」。

「絶世の美女」の代表格とも言える、クレオパトラは、戦術に長け、戦乱の世でオトコ顔負けの活躍をしました。なにより声がきれいで、話術が巧み。

クレオパトラと話をした男性たちは、いつまでもこの女性と話しつづけていたいと願ったそうですから、現世ではおそらく指名を取りつづけるナンバーワンホステスとなったことでしょう。

クレオパトラに関しては当時流通していたコインに横顔が刻まれているだけで、肖像画も残っていません。妹が美しかったことは分かっており、姉もおそらく美しかっただろうと言われています。

しかし、時の大物男性ふたりを陥落させたのは、美貌というより、むしろ人を魅了して止まない、そのトーク術にあったと考えられています。

日本の美人の代表は、小野小町。その生涯は謎に包まれていますが、当時、身分の高い人たちに必須だった和歌を数多く残し、教養の高さはお墨付き。

深草少将とのラブロマンスは悲恋ですが、Sッ気のつよい、頭の回転の速そうな言動は、女王様気質の大好きな男性には堪らない魅力だったに違いありません。

フランス国王15世の愛人のひとりであるポンパドゥール夫人もまた、頭のよさを認められた存在。当時の政治は彼女がベッドで操っていた、と言われるくらい、頭脳明晰、話術が巧みだったとか。

教養が高い男性を惹きつけるトークとはいったいどんなものなのでしょうか?

おそらく共通するのは“聞き上手”だったことだと思われます。相手のホンネを上手に引き出して、相手が言って欲しいコトバを巧みに探り当てる。

ここぞというポイントを逃さず上機嫌にさせた上で、自分の要求をうまいこと、相手に呑ませていたのではないでしょうか。

今は戦乱の世ではなく、平和な時代で、一般人である私たちは戦術や外交などに直接口を挟む立場にはありません。

しかし、相手からホンネを聞き出すこと、相手が言って欲しいと思っているコトバをここぞというポイントで言うことができれば、相手から、「ずっと側にいて欲しい」と思われること間違いなし!

地位と教養のある男性をゲットしたいと思ったら、まずは聞き上手に徹する。相手に純粋な関心を抱き、変な先入観を持たず、まっさらな心で相手に対峙することです。

それが傾国の美女たちに見習うトーク術の一歩!

忙しいときほど輝いてみえる!美人が実践するささやかな日常習慣

「忙しい忙しい、と言ってる人ほどよっぽど暇そうに見える。大体忙しい忙しい、って二度もいう暇があるじゃない!」以前、笑いながらそんなことを言う友人がいました。

ここだけの話、本当に忙しい人は、「忙しい」なんて口が裂けても言わないものなんです。

まして「忙しい忙しい」なんて二度も口に出す人の忙しさなんて…。「たかが知れているわね」前述の彼女なら皮肉な笑みを口元に浮かべながら言い放つことでしょう。

端から見ていても本当に多忙な人がいます。親しい人たちは彼女の状況をよく知っています。

「仕事が忙しい」という場合、それは会社的な繁忙期であるとか、悪く言えば、処理能力が低く、頭の回転の速い人ならすぐに片付けてしまえる仕事をいつまでもモタモタやっているとか…。

あるいは、頼まれたら「イヤ」とは言えない性分で、他人の分まで面倒を見てしまうため、いくつも仕事を抱えこんだ結果、忙しさに自分を追い込んでしまう…。

彼女のケースはこれに近いかもしれません。しかし、異なるのは「仕事ではない」ということ。

彼女が抱えている多くのことは報酬には繋がらないのです。誰かから評価されるものでもない。多少感謝はされるかもしれないけれど、…それは稀なケースです。

誰かがしなくてはならないことを、誰も引き受け手がいないから、彼女が一手に引き受けているという状況です。

まったくお金にならないボランティアとして実にまめまめしく立ち働く彼女について、「あの人は暇人だから」などと陰口をきく人も中にはいます。

しかし、実は彼女、ボランティアの隙間時間を活用して、フルタイムで働く人には及ばないながらも、それなりの収入を得ているというから驚きです!

さらに多趣味で、ジャンルの違ういくつかの習い事を掛け持ちしています。それぞれの習い事でそれなりの成果を上げており、代表や調整役を務めたりもしているようです。

そんな彼女ですから、当然交友関係も幅広く、映画や観劇、ランチや飲み会など、いつも予定がぎっしり。

いうまでもなく、彼女はいつも表情がいきいきと輝いている美人で、同性からも異性からも、とても慕われています。

当然ですが、彼女の口から、「忙しい」というコトバを聞いたことがありません。

「いつ寝てるんだろう?ちゃんと食べているのかな?」そんなふうに周囲に気を遣わせることもなく、いつも元気で弾けるような笑顔を見せ、彼女の処理能力の高さには舌を巻く限りです。

こんなにも多忙の中でも、美しさを失わず、むしろ輝いていられる秘訣はどんなことなのでしょう?

それは、「来た誘いをむげに断らない」ことなのだそうです。「忙しいときほど、楽しいことを大事にしたい!」それが彼女の信条。

苦手な人、一緒にいて気詰まりな人の誘いも断らないのでしょうか?「そういう人は、向こうから声をかけてこないんです」

彼女曰く、無為な時間を過ごしていると、そういう、自分と合わない人からの誘いがくることも多い。

しかし、わずかな時間も無駄にせず、大切に過ごしていると、その手の、苦手な人からの誘いはまず、来なくなるのだとか。

「スケジュールが合わなかったら、次の機会に!と言うことを忘れません。その機会はなるべく早めに、私の方からセッティングするようにします」

なるほど、そうした人と人との関わりをけっしておざなりにしない、真摯な姿勢が“美”を作るのですね!納得しました。

心の問題が一掃されれば“ブス要素”は解消し、たちまち表情美人!

あなたは自分の美しさに自信が持てますか?

どんなに造作が美しく、グッドプロポーションの美人でも、自分に自信が持てないという人は、この世の中に数多く存在します。

反対に、目鼻立ちはそれほど際立った方ではない。スタイルだってけっしていい方ではない。

にも関わらず、いつも笑みを絶やさず、大勢の人に慕われ、この人はめいっぱい人生を楽しんでいるな、と羨ましく思える人がいる。

おそらく周囲の人に聞いたら、前者のような人でなく、後者の人の方を“美人”というのではないでしょうか。

世間的には、前者のような人に対して「顔立ちは整っていてスタイルもいいけれど、あまり魅力的でない」という評価を下されるような気がします。

両者の違いはいったいどこから生まれてくるのでしょう?

私はそれを「心の問題」だと思っています。

「心の問題」というのは、気がかり。ひっかかり。はたからすれば、ささいで、どうでもいいことに過ぎないのに、本人は気になって仕方がないこと。

自分の中にある「心の問題」に気づき、前向きに対処している人は少なく、たいていはどうしてよいか分からず、それを持てあましているもの。

気づかないようにフタをしてしまっている人もいるし、はなから気づいていないというケースもある。

しかし、自分に自信を持てない人のほとんどは、こうした「心の問題」を抱えていることが多いのです。

そして、この心の問題さえ解決できれば、たいていの人は、“美人”になれるものなのです。

友人に、「学生時代、メガネからコンタクトに変えたら、モテモテになった」という女性がいます。

少女マンガや、お笑いなどでもよく見かけるネタですが、実際にもそんなことってあるんですねえ!

視力が極めて低く、いわゆるビン底メガネをかけていたという彼女。

チャームポイントの黒目がちの瞳は分厚いレンズの中でいつもぼやけていました。コンタクトをすることで、ガラスレンズに覆われていたつぶらな瞳が、初めて衆目に晒されることとなったのです。

「このコ、実はこんなに可愛かったんだ!」と、たちまちのうち、人気ものになっていったという彼女。

しかし、私はこれを、メガネを外したから、という理由でなく、彼女の心の問題が解決されたからだ、というふうに捉えています。

「メガネを外した私はきっと可愛いはず」という彼女のつよい思いが、コンタクトをした瞬間、確かな自信となって表情に表れたに違いないと考えられるのです。

「一重まぶたでいつも眠たい顔をしていたさえない子が、二重まぶたに美容整形したら途端に可愛くなって、モテモテになった!」

このような話も、実際には二重になって造作が美しくなったから、というより、二重にすることで自分に自信が持てるようになり、それゆえにモテ始めた、と考えるのが順当の気がします。

美容整形を何度も繰り返す、「整形マニア」の人がいます。これは“飽くなき美への追究”というより、不安からくる妄執といった方がピッタリくるかもしれません。

彼女は、どんなに腕のよい外科医が彼女の注文通りに顔やカラダを改造しても、満足することがない。自分に自信を持つことができないのです。

これは「心の問題」に起因する、一種の病気であると思われます。もし、彼女の心の問題を一掃、解決することができたら…。

彼女はこのような美容整形による危険極まりない人体改造をスッパリやめ、本当のシアワセを享受できるはず、と私は考えているのですが…。

それは彼女にとっては、大きなお世話なのかもしれません。

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