いくつになっても子どものように好奇心を失わず、あたらしいことにチャレンジする人は、実に若々しく魅力的です。
つい最近も90歳に近いご高齢ながら、目の見えない方のための朗読のボランティアをつづけるため、ボイストレーニングの講習を受けているという方に出会いました。
見事なシルバーヘアで、腰も少し曲がっておられるのだけれど、たいへんお元気で少女のようなキラキラした瞳が実に印象的。素敵なご婦人でした。
いくつになっても好奇心を失わないことはとても大切です。しかし、好奇心が強すぎる、というのは少し考えもの。
好奇心の行き過ぎを戒める、とてもよい題材があります。「青ヒゲ公」の物語です。
オペラや映画の題材にもなった有名な話ですが、元々は子ども向けの童話。
と言っても、実は歴史上の人物をモデルにした血なまぐさい話。
「好奇心を持ちすぎると酷い目に遭う」という教訓がまぶされたホラーストーリーです。
日本の昔話にもよく出てくる、「これこれをしたらいけないよ」と禁じられている場所にわざわざ立ち入る、というもの。
人間というものは、禁じられたことに限って興味を抱き、危険を感じつつも、自分の方からのこのこ出かけて行き、結果、生命を脅かされる境遇に陥ってしまったりする。
また、“獲物がかかるのを舌なめずりしながら待つ”側も、そうした人間心理をよく分かっていて、「けっして来てはいけないよ」などと、反語的なトラップをわざわざ仕掛けておく。
その手の危険な好奇心というものは、確かに持たぬ方が身のため。恐怖におののく形相では、どんな美人も台無し。まさにブスへの超特急!
ときには、見て見ぬふり、無関心で押し通すことも、大人社会では必要な場合があります。
あきらかに相手にとって状況が不利となる過失や失敗。バッチリ見てしまったけれど、「見ーちゃった、見ーちゃった!」とばかり、好奇心丸出しで、世間に広く知らしめようとする態度は感心できません。
それが正義感ゆえの言動であるにせよ、相手にとって迷惑千万な行為である以上に、あなたという人間の品格を下げてしまいます。そうしたときは無関心を装うのが大人のマナーです。
また、よく知りもしない相手の状況をあれこれと詮索し、差し出がましい口を挟む、というのも感心しません。発言者の言葉尻だけを捉えて攻撃したり、誰かの意見を真に受けて尻馬に乗ってみたり。
インターネットの世界では、よく見受けられますね。
何事にもクールで無関心なのがいいか、と言うと、やはりそうではありません。
もし、困っている人がいたら、その人が声に出さずとも状況を察知して手を差し伸べる。そんなときは無関心を装わず、気づいて即行動できる人であって欲しい。
困っている人を見て、私には関係ないわ、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめん、とばかりにしらんぷりを決め込む人間の表情というのは、とても醜いものです。
誰からも認められなくても、褒められなくても、たとえ気むずかしい当事者に煙たい目で見られたとしても…。誰かが困っている状況に気づき、行動すること。
それは、あなたの心の糧となり、あなたの表情を美しく輝かせてくれることでしょう。
興味本位に陥らないほどに、周囲に感心を持つこと、また、あるときは大人の余裕で無関心を装い、こっそり見過ごす心の余裕を持つこと。
そのどちらも身につけることが、心磨きにとってたいへん重要なのです。
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