会話が弾まないのに一緒にいなければならない状況というのは、男女問わず苦痛なもの。

聞き上手な女性というのは相手をもり立て、いい気分にさせてくれるので、一般的には「男性が好む女性像」として捉えられています。

しかし、気のない相づちや、通り一辺倒の受け答えではかえって相手を白けさせ、不愉快にさせてしまうもあります。

関西の人は他の地域の人に比べ、トークがうまい、というイメージを持つ人が多いと思います。

私にも何人か関西出身の友人がいます。彼ら、彼女らは概して喋り好き。確かにコミュニケーション能力は他地域の人に比べ高い気がします。概してトーク上手かどうか、というと、それはやっぱり人それぞれだなあ、と思います。

話題が豊富で語りが尽きない。状況描写が巧みで話の流れに緩急があり聞き手を飽きさせない。とりとめのないダラダラ話ではなく、起承転結がはっきりしている。

これらはスピーチの基本と考えられる事柄ですが、このすべてができていたら、トークがうまい、ということになるのでしょうか。

“マシンガントーク”というコトバがあります。芸人さんやアナウンサーにこれを得意とする人が多いようですね。立て板に水、弾丸を打ち続けるかのように、瞬発力の高いコトバを浴びせかけるトーク術です。

プロでなくとも、このような話術を得意とする人はいます。飲みの席などでこのような人の独壇場になり、周囲の喝采を浴びる光景を何度か目にしたことがあります。

たったひとりで、数分の短いものから、ときに何時間もかかる超大作も語り、大衆を笑いや感動の渦に巻き込む日本古来の話芸があります。落語、浪曲、講談などがそれに相当します。

これらのプロフェッショナルはステージにひとり立ち(あるいは座り)、ときに何百人という大衆を相手に語るのですが、この場合、覚えたコトバを自分勝手に喋っているわけでは決してありません。

話芸を聞いている聴衆、ひとりひとりと向き合い、大衆と一体化しながら、その空間をつくりあげているのです。そこには確かなコミュニケーションが存在します。

たとえ、拍手やかけ声がなくとも、話し手は息を飲むお客の反応、表情をきちんと捉え、その上で語っているのです。

コトバには淀みがなく、伝えたいことはすべて伝わり、観衆を笑わせ、泣かせ、感動の渦に巻き込む。これはいわゆる素人のやるマシンガントークというものとはちょっと違うかな、と思います。

芸人、アナウンサーのマシンガントークは、実はこれに近いと思います。

ただ、つらつら喋りつづけているだけではなく、周囲の空気を読む気配がはっきり伝わるからです。それによって、自身の語りをより観客を惹きつける方向へと自在にシフトしていることも分かります。

本当のトーク達人というのは、相手の意向を汲むのがうまい人のことを言うのでしょう。さらに言えば、相手のホンネを引き出すのがうまい人。

日本古来の話芸の達人たちは総じて司会業なども巧みにこなすそうです。相手の仕草、表情から、相手の気持ちを汲むことに長けているからでしょう。

淀みなく上手にひとり勝手に喋って、喝采を受け、ご満悦にひたっているのはトーク達人とは言えません。

自分のことを伝えながら、相手にも「自分も話したい!」と思わせる話術。もっとこの人と話してみたい、この人とまた会いたい、長い時間を一緒に過ごしたい…!

そう思わせるトーク術を磨くために、まずは、向き合った相手の表情、仕草を見逃さないこと。そこから見えてくるものがあるでしょう。

じろじろ見てはいけませんよ。笑顔を忘れないで!