「自分からすすんで挨拶をしましょう」というメッセージ、標語をあちこちで見かけます。

では、「自分からすすんで挨拶をしている人」、あなたの身の周りにどれくらい、いますか?ほとんどいないのが実情ではないでしょうか。

私はボランティアとして、地域の公民館や学校などに出かける機会が多いのですが、公民館スタッフが、向こうから私に気づいて挨拶をしてくれる、ということは滅多にありません。

もっと残念なことには、学校の先生方の中には、こちらから挨拶をしても挨拶が返ってこないような方が少なくないということです。

「学校現場は疲弊している」なんて話を耳にしますが、教師みずからボランティアに挨拶することはおろか、挨拶を返すことすらできないとは…。よっぽど疲弊しているに違いありません。

教育現場や、公共機関の提唱する「みずから進んで挨拶」というのは、コトバだけがひとり歩きする、空虚なものであることが伺えます。

「最近の子は、ちっとも挨拶をしないのですよ〜」と嘆く大人は多いのです。ではその方自身はどうなのか?…見事に挨拶しないのです!そんな大人に子どもの方がすすんで挨拶するなんて、あり得ませんよね。

挨拶がこんなにも推奨されているにも関わらず、大人も子どもも挨拶をしない、できないケースが多い理由とはいったいなんなのでしょうか。

そのひとつに、「挨拶をしてもスルー(無視)される」という理由が挙げられそうです。

私自身、ボランティアとして、それなりに尽力していると自負する学校で、気づいてもらえない、挨拶を返してもらえないことに対し、激しいショックを覚えます。

「挨拶もしてこない!」と腹を立てる前にまず、気づいてもらえなかった、無視されてしまったことで、自分の存在を全否定されたように感じ、落胆してしまうのです。

怒りというのは、転じてパワーになりやすいのですが、ショック、落胆というのは、パワーにはなり得ません。力が抜けてしまうだけです。

すすんで挨拶できないことには、こうした落胆を何度か体験してしまったことが要因としてあるのではないでしょうか。

頭では、「挨拶することはいいことだ」とか、「挨拶は自分からすすんでするのが望ましい」と理解しており、子どもたちに「すすんで挨拶しなさい」なんてもっともらしいお説教だってできてしまう。

しかし、いざその状況になると、以前だれかから挨拶をスルーされた経験から、咄嗟のコトバが出て来なくなってしまうのではないでしょうか。

かつてのトラウマから、咄嗟の挨拶のコトバが出て来ない…。そんな人のために、私が常々実感し、実践してもいる、“挨拶の法則”をお教えしましょう。

「10人のうち、3人から挨拶が返ってこないより、100人に挨拶して50人から無視されることの方が辛くない」

打率としては後者の方が悪いじゃないか。そんなふうに思われるかもしれませんね。しかし、心の痛みというのは割合などではケアできません。重要なのは、数です。

想像してみてください。挨拶を返してくれたのが7人であることと、50人であること。その中にいくつ魅力的な笑顔があったか。

笑顔には、エネルギーを与える力が宿ります。50人の挨拶の中に笑顔が含まれる可能性は7人のそれよりはるかに多いに違いありません。

さあ、あなたも無視を恐れず、自分からどんどん挨拶して、コミュニケーション美人になりましょう。

あなたがみずから挨拶をしてくれる人だと分かれば、あなたと関わる多くの人がみずからすすんで挨拶してくれるはずです!