自分に自信のない人ほど、虚勢を張りたがるもの。そして、矛盾するようですが他人のコトバに振り回されがちです。

口先では自分が正しいと言い張り、かたくなに他者の意見を受け入れまいという姿勢を貫くけれど、実は足下はぐらついてしまっている。

まさに口先だけの反発で、最終的には自分がなにを言おうとしていたのか、分からなくなってしまう…。結果、相手の思うツボというようなことが多々あります。

自信に溢れた人だったら、こんなとき、どう対応するのでしょうか。

自信に溢れた人というのは、他者の意見にしっかり耳を傾ける心の余裕があります。

それを聞かせられたところで自分は揺らがない、という信念がありますし、相手の言い分を余さず聞くことによって突破口が生まれるかもしれない可能性も否定しないのです。

結果がどのように転んでも、それを受け入れる寛大さも持ち合わせています。

仮に自分の意志とは逆の方向に進んでしまっても、それまでの自分の努力を認めることは忘れないでしょう。その上で、自身が撮るべき最良の道を模索するでしょう。

自信のある人というのは、どのような状況に於いても揺らがないのです。

成功に対しむやみにはしゃがないし、たとえ失敗しても、自分や他人を責めることはない。虚勢を張ることもなく、あくまで自然体です。

そのような人に対し、魅力を感じる人は多いでしょう。

自信のない人というのは、すぐに虚勢を張って、そのせいで冷静な判断ができず、あとから後悔することが多いのです。

いつも自信満々で、私のコトバに対し、いつも批判しかしない年長の友人がいます。

彼女の身のうちにはびこる自己肯定感の低さ、自信のなさに気づいたのは、長いつきあいの中でごく最近のこと。

彼女はどうやら、年下の私に虚勢を張るたび、あとになってから、そのことをいたく後悔し、当面の間、私に会うのを避けているようなのでした。

そんな自家中毒みたいなことしなければいいのに…、と思います。

しかし、彼女にとって私を批判し、張り合う時間は、自分の方が立場が上なのだ、と確認でき、つかのま自己肯定することができる至福の時間だったのかもしれません。

「私は詐欺になど絶対にひっかからない!」と断言していた彼女ですが、どう考えても詐欺被害にあったとしか思えない体験談を何度か聞いたことがあります。

詐欺に遭った自覚が本当にないのか、たとえ自覚があっても自分が詐欺被害に遭ったとは認めたくない気持ちから、虚勢を張っているだけのことなのか…。

つまらない虚勢を張ることは、早いうちにやめた方がいいと思います。それは不自然な縛りだから。

縛りに囚われて、本当に大事なことを見失ってしまうかもしれません。

虚勢を張らず、自然体でいるためにはどうしたらいいか?それにはまず、他者を認めること。他者のコトバに耳を傾け、恐れのあまり批判でスルーしたりせずに、意見をしっかり受け入れることです。

相手のコトバにしっかり耳を傾けること、話している相手の表情、しぎさを読み取ること。

それをつづけることで、いつしか、他人のコトバに揺らがない核のようなものが心の内に宿るでしょう。

それこそが、あなたを真実の美へと導く、確かなる自信の芽生えなのです。