自己肯定感の低い大人が増えているということを、以前にもお伝えしたかと思います。

自己肯定感の低い大人と言うのは、自己肯定感を持てずに育ってしまった、かつての子どもの成長した姿です。

なぜ、自己肯定感を持てぬまま、こうして大人になってしまったのか、と言えば、失敗を許さない、成功すること以外認めない、という親の厳しいしつけや態度に接してきたことに、その理由のひとつが見てとれるかもしれません。

高学歴、高収入、さらにルックスもよい。それなのに自己肯定感が低く、まったく自信がもてない、という友人がいます。

彼女と話をするたびに私が思うこと。それは他人に対しての態度がとても厳しく、だいたいにおいて批判的ということなのです

「彼女は本当に自分に自信がないの?自信過剰の間違いじゃないの?」そう考える人もいるかもしれませんね。

自己肯定感が低く、自分に自信がもてないという人が、他人に対して謙虚である、というのは単なる思い込み。

身のうちに確たるものがない、メンタルの脆弱な人ほど、自分を否定する気持ち以上に他人を否定する気持ちが強いのです。

さらに言えば、驚くほど他人に対して非寛容だったりします。

そうした、自分に自信のない人というのが、ときには人を傷つけるようなコトバを平然と口にし、別段、罪悪感も覚えない、というようなケースもけっして少なくありません。

人を傷つけて平然としているのは、みずからの優位性を誇示したいという気持ちのあらわれなのかもしれません。

コトバによって相手を軽んじているあいだは、わずかにでも自分の優位性が立証されているかのような錯覚を感じられるからです。

自信過剰でみずからを天才だと思い込んでいるような人は、「こんなこともできないの!?」などと他人を小馬鹿にするのが常である、というようなイメージをお持ちではないですか?

自信過剰でみずからを天才だと“思いたい”、その実、本当は自分にまったく自信がもてない人というのは、確かにそのように、人を小馬鹿にしたような態度をとりがちです。

これも自己肯定感の低い人のケース同様、相手を貶めることによって、その相手より自分の方が立場が上なのだ、という証明を手に入れた気になっているのかもしれません。

本当に心の奥底からの自信に溢れた人というのは、他者を傷つけることなどまず、ないと言えます。

他者を傷つける行為が、自分にとって、なんの利益も生み出さないことが分かっているからです。

自分をいうものを確立している人は、他者と自分を比較することをしません。なんの意味もないからです。

その自信のなさゆえに、他人を傷つけてしまう…。なにもいいことなしではありませんか。

私たちはもっと、自信を持たなければなりません。

自己肯定感の高い子どもを育てるために、私たち保護者は失敗に対し、もっと寛容にならなければならないのだ、と思います。

結果がどのようなものであったにせよ、それまでの努力をきちんと認めてもらうことができたのだとしたら、子どもはそれで自分は十分報われた、と満足でき、次のステップに進めるようになるのではないでしょうか。

これを自分自身に当てはめてみてください。

失敗をおそれない。結果がどうであれ、それまでの自分の努力を認める。親にはめられた枷を自分自身で壊すとき。

あなたの心の中に自信が生まれ、育ってきていると思います。

そして、自信は人を強くし、その表情を美しく輝かせるものなのです。