「お子さんを怒鳴ったことってありますか?」と質問されることがあります。怒っているイメージが想像しにくいのだそうです。

ライフワークとして実践している人形劇では、鬼婆や凶暴なオオカミ役を演じることもあります。それを見た方から、「こんなふうにお子さんを怒るんですね」と言われ、少々複雑な心境です。

「演技でお母さんが怒鳴ってるのを聞くと怒られている感じがする」と私の子どもたちも身を竦ませていたので、おそらくそれが真実なのでしょう。

怒らない子育てがよい、という教育論を見かけます。実践されている方も多いようです。

「子どものやることなすこと、腹が立って、すぐ怒っちゃう」「怒るとブスになるから本当は怒りたくないんだけど…」悩むお母様も大勢います。

しかし、怒らない子育てというのは子どもにとって本当によいものなのでしょうか?

私はそうは思いません。子どものためには、悪いことは悪い、とときには怒ってしっかり伝えた方がいい。

子どもが他人に迷惑をかけたり、危険な行動をしたとき、きちんと叱れる母親の表情というのは厳しく引き締まり、にも関わらず慈愛にも溢れ、私は美しいと感じます。

理不尽な仕打ちや、正直者が損してしまうような社会の仕組みに、怒りの声をあげる母親たちも美しい。怒った顔を美しいと思うのはその表情に一切ウソがないせいかもしれませんね。

叱る、と怒るは違う、という話をされる方がいます。「叱るは子どもの将来を思ってする行為。怒るは感情にまかせた自己満足」そんな説明を受けたこともあります。しかし、実際のところ、単なるコトバのレトリックなのではないでしょうか。

「アンタのためを思って叱ってやってる!」などと言い放つ親もいるようですが、実際には自分の大義名分や見栄のため、というのはよくある話。

そんな「叱られ方」は子どもにとって迷惑。とくに思春期の子どもは精神的には十分大人ですから、親の本心など見透かされています。

そのようなお母様はおそらく、幼少期にあまり怒ってこなかった、怒る必要性を感じなかったのではないでしょうか。では思春期になった今、なぜ自分本位に“叱り”始めるのか。

幼少期には自分の所有物、一心同体であるかのように思っていたわが子が、思春期になり、自我を主張しだして、自分の思い通りにならないことに腹立ちを覚えたということなのではないでしょうか。

本来なら、コトバが通じないと思った幼少期にも怒るシーンはいくらでもあったはず。しかし、自身と子どもを同一化していた母親には子どもがなにをしてもただ可愛くて怒る理由など見つからなかったのかもしれません。

他人に危害を及ぼしたから叱る。危ないからやめさせる。ただそれだけのこと。そんなときに、「わが子のためを思って…」などという大義名分が必要でしょうか。

幼いときほど、怒ってください。幼い子は恐い顔をして厳しいコトバで伝えないと「してはいけない」ことが理解できません。

「あらあら○○ちゃん、ダメよ〜」と優しい顔で窘めるだけでは、それがいいことなのか、悪いことなのか、幼い子には判断できないのです。

成長の過程で、子どもが物事をよく理解できるようになったら怒るのではなく、「諭す」「話し合う」という方向に徐々にシフトしていけばよいと私は考えます。