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「忙しい」をいいわけにするたび、あなたはまた一歩ブスに近づく

「忙しい忙しい」が口癖の人、あなたの近くにもひとりやふたりいるのではないでしょうか?もしかしたら、あなたもそのうちのひとり?

「忙しい」を日常的に発する側からすれば、これほど便利なコトバはありません。「忙しい」といういい訳さえあれば、大抵の面倒ごとはスルーできる気さえするからです。

率直に事実を申し上げましょう。「忙しい」というコトバを発するたび、あなたはブスに近づいていくのですよ。

なぜって?それは“時の呪い”を受けてしまうからです。

ウソだと思われるかもしれませんが、実は“時”というものは誰にでも平等に振り分けられているというものじゃないんです!

ある人にとっての“時”はゆるやかな微睡み、またある人にとっての“時”は光陰矢の如く走り抜けてしまうもの。

考えてみてください。同い年なのに、いつも目がキラキラしてとても若々しく見える人と、くすんだ顔色、つまらなそうな表情で人生終わりかけの老人のような人が、…いたりしますよね?

それは、その二人には同一の“時”が流れていないことを証明することに他なりません。

どうしてそのような差が二人の間に生まれてしまったのか?その理由こそが、「忙しい」というコトバなのです!

「忙しい、私には時間がない!」そのようなコトバを頻発することによって、“時”は、「そうか、キミにとって“時”はないも同然なんだね!それではサラバ!」とそのコトバを体現するかの如くさっさと走り去ってしまうのです。

時間はある、そこにちゃんとある。「忙しい」を連発して、それを有効活用できないのは、あなたの処理能力の低さ故なのです。

自分は忙しいから、あれもできない、これもできない、と自分や他人に言い訳ばかりしていると、そのコトバに呼応するかのように時間というものはどんどん縮んでいってしまうもの。

すべきことをやり遂げぬうちに、どんどん時間が過ぎ去っていってしまいます。

反対に、「やらなきゃならないことは今も結構あるんだけれど、…でも、これをやったら楽しいかもしれない!誰かの役に立てたら嬉しいな!」

そんな気持ちで動き出すと、…あ〜ら、不思議!時は思いがけずゆったりと流れていき、「あれ?まだこんな時間?じゃあ、ついでにあれもこれもできちゃうわ!」とさらなる余裕さえ生まれてくるものなのです。

種明かしをすれば、たとえ多忙な状況にあったとしても、さらに新しい何かに興味を持ち、前向きに挑戦しようとすることで、自身の処理能力が飛躍的に上がっていく、…という、そういう話なのですけどね。

その際、無理は禁物。「楽しいかも」「誰かの役に立ったら嬉しい」そうしたポジティブな気持ちで臨むことこそが美人へ繋がる道です。

「頼めばなんでもやってくれる便利屋みたいに思われるのは面倒。当たり障りなく“忙しい”と断ることも大事」そんなふうに思われる方もいるかもしれません。

無理をしないために、ときにはそのようなスタンスを貫くことも、もしかしたら必要なのかもしれません。

しかし、周囲から「あの人は非協力的だから」と決めつけられ、誰からも頼られないというのは淋しいことではありませんか。

誰かの力になろうとすることは、あなたの可能性を広げていくことなのです。

あなたの力を必要とする誰かのために一肌脱ぐことで、その努力をすることで、あなたの処理能力は飛躍的にアップすることでしょう。

当事者からは感謝され、周囲の人からは一目置かれ、あなたの心には確かな自信が生まれていきます。それはあなたの表情を一段と輝かせることに繋がっていくでしょう。

年齢も痩せもデブもいいわけにできない!誰もが美人になれる根拠

BMIというコトバを耳にされたことがあるでしょう。体重÷(身長(メートル)×身長メートル)で出された数値がBMI値となります。

BMI値22が平均体重とされる数値で、適性体重とされる範囲は18.5〜25未満。生活習慣病その他の病気にかかりにくい理想的、かつ健康的数値とされています。

しかしながら、ここ最近の20代〜30代の女性たちの多くが、痩せすぎを示す18.5よりかなり低めのBMI値である低体重傾向にあるのだそうです。

ファッションモデルやタレントさん、女優さんたちは大抵スリムですよね。痩せ気味傾向の芸能人に憧れる傾向は、日本に限らず、先進国と呼ばれる国々に共通するようです。

若い世代に拒食症を誘発させる危険性から、フランスではBMI値18以下のモデルを起用すると、法律によって罰金や禁固刑に処されてしまうそうです!

ファッション大国フランスでは政府が介入してくるほど、若い世代の“痩せ願望”は深刻ということですね。

国が介入してくるほどではないにせよ、日本でも状況は似たり寄ったりかもしれません。

痩せていなければダメなのか。太っていたら可愛くないのか。

太っている、痩せているは女性的な魅力とは関係なく、その人の持つ骨格や、顔、手足のバランスなどから、客観的に見て好ましい体型というのがあるわけです。もっと言えば、体型の好みも人それぞれ。

脂肪吸引など芸能人の施術も数多く手がけてきたという有名な美容外科医は、自他共に認める「ポッチャリ好き」。世の女性はもう少しふくよかな方がいい、と常々提言しています。

世の中にはポッチャリ好きの異性も少なくはないのに、自身は太っている自分を好きになれないし、そういう奇特な男性との出会いもない…。

そうしたネガティブな感情は必ずや表情に表れるでしょうし、出会った人に「自信のなさ」や「卑屈な態度」を感じさせ、実はそこから無限に広がる可能性もあった交友関係を自ら狭めたものにしてしまう危険性大です!

もし、あなたが元気になれるというなら、自分に自信が持てるなら、たとえ適正体重の範囲内であってもダイエットしてみる、それは決して悪いことではありません。

しかし、「痩せれば即モテ」などという幻想は抱かないことです。太っていても、痩せていてもモテない人はモテない。目鼻立ちの整った、一般的に美人と言われるような顔立ちで、スタイルもいいのに、モテない人だっています。

「美人は理想が高いから」なんていう人がいますが、「私のルックスに釣り合うオトコはいないわ」なんて言ってる理想の高すぎる美人と、自分の容姿にまったく自信が持てない人というのは、実はあまり大差ないのではないでしょうか。

条件つき(理想)の異性にシアワセにしてもらうことと、「痩せていたら」「美人だったら」と条件つきのあなたを愛してくれる恋人、…どちらも似かよっているように感じませんか?

大切なのは、あなたから「愛すること」、あなたの方から「相手をシアワセにしてあげたい」という気持ち。

その意識を持つだけで、あなたの表情は見違えるほど変わってきます。良縁の可能性は今までとは比べようもないほど広がってきます。

太っている、不美人である…。それはモテないことのいいわけになどなりません。また、痩せていること、顔立ちが整っていることが、必ずしも愛される、シアワセになれる条件とは限らない。

大事なのは、自分以外の人を大切に思う気持ち。そんな心から滲み出る、ハッとさせるほど美しい表情なのです。

あなたも表情美人になって素敵な恋をゲットしませんか!

大切なのは“目ヂカラ”ではなく、口ほどにもの言う“瞳”の美しさ

70年代に流行し、80年代から90年代初頭のナチュラルメーク全盛時代にかけては下火だった、アイラインくっきり、つけまつげバッチリのアイメーク。

“目ヂカラ”を強調し、男性を惹きつけるとして、ここ10年ほど若い世代を中心に一大ブームを巻き起こしましたが、…2016年現在、そろそろ“古いメイク”認定されつつあるよう…。

あまりに目ヂカラを強調しすぎれば、メイクを落としたスッピン時とのギャップが大きすぎ、あえてそれをネタにするような人もいないことはないですが、やはり不自然には違いありませんよね。

80年代の人気アイドルたちのブロマイドを改めて見てみましょう。どのような感想を持たれますか。もしも10年前だったら、「目が小さくて地味な顔だな〜」などと思ったかもしれません。

しかし、30年ほどの時を隔てて当時のアイドル写真を眺め直した結果、「むしろ可憐で可愛らしい…」というような感想を抱くのではないでしょうか。

とくに注目すべきは、瞳の輝き、なにか訴えかけるように、うるうるした目元…。目は口ほどにものを言うのです。

長らく少女マンガなどで描かれてきた、ヒロインの目元というのは、大きく見開かれ、つけまつげをバッチリ施したフランス人形のような目がお定まり。

しかし、なんと言ってもいちばんの特色は瞳の中にキラキラ瞬く“お星様”。これに尽きるのではないでしょうか。

70年代から80年代にかけてのアイドル撮影には、瞳の中に星を瞬かせるための工夫がなされていました。

プロのカメラマンはアシスタントにレフ板という道具を持たせ、その角度を調節することで、アイドルの瞳に星を出現させるマジックを披露していたのです。

「レフ板さえあれば、魅力的なキラキラ瞳がつくれる!」…はい。その通りです。しかし、パンピー、すなわち一般人であるところの私たちは、常にアシスタントにレフ板を持たせるわけにもいかず…。

最近では、便利なグッズも出現しています。表面にお星様が描かれたコンタクトです!

ここ数年、コンタクトの進化はめざましく、今やなれない瞳の色はない!と断言できるほど。表面の模様も、星だけでなく、猫型、ハロウィン柄、なんてものまで存在するほど…。

いえいえ、私が言いたいのはそのような便利グッズをつかって、目ヂカラより80年代アイドル顔負けのキラキラ瞳を手に入れましょう!という話ではありません。

私がお伝えしたいのは、心の中にこそレフ板を、ということなのです。心の中のレフ板は、アシスタント要らず。無用な賃金も一切発生いたしません。

レフ板とは、光を反射させ、瞳を美しく輝かせるもの。心の中のレフ板は、実は“好奇心”からできています。

なにかに夢中になること、ひたむきに頑張ること。それによって瞳はキラキラ輝きを増すのです。

なにごとにも関心が持てず、無気力であれば、瞳はうつろにさまよいますし、憎しみに燃えた心は、瞳に怒りをたぎらせ、また、心に憂いがあれば、瞳は暗く翳ります。

確かにそれはある種の魅力として、人を惹きつける要素になったりすることもあるのですが…。いつまでも翳ったままだと周囲もだんだん暗い気持ちになってきますよね。

沈みがちな人に、「とにかく笑って!」なんて無理強いしても、ぎこちない笑みしかつくれないもの。それよりも、興味のあることを話してもらう方が断然オススメ。

好きなことについて語る人の瞳というのは本当にキラキラと元気に輝いているものなんですよ!

“美しさ”を手に入れるために、ほどほどの嗜好食・悪食は必要!

日本が誇る名だたる文人たちの“悪食”について紹介した著名人のエッセーを学生時代に興味深く読んだ記憶があります。

衝撃だったのは、「我が輩は猫である」でお馴染みの夏目漱石のまんじゅう茶漬け。本人、たいへん気むずかしい人だったと記憶していますが、実は極めつけの甘党!?

まんじゅうにお茶をかけるだけならまだ、「まんじゅうを食べながらお茶を飲めば、口の中では結局同じことになるからね…」と一般人にも納得が行くものです。

しかし、実際のところ、漱石は、白飯の上にまんじゅうを乗せてお茶をかけて食していたらしい…。うわあ…!

数年前に亡くなった、独自の世界観で描かれたミステリーや耽美小説が若い世代に大人気だったある有名作家の好物は、コンビーフ炊き込みご飯。

ただでさえ油分の多いコンビーフと一緒にバターも混ぜ込み、ご飯を炊きあげるというから、「牛脂×バターって…、ええ?それ、ホントに大丈夫なの…?」と無性に心配になってきてしまいます。

その作家さん、亡くなる前に長期入院して大手術を経験しているそうなのですが、その闘病記も書いておられます。その闘病記に書かれている食事内容もなかなかに衝撃的。

「病院食が薄味でまずすぎる…!」とフライドチキンやポテト、ビッグサイズのハンバーガーなどを家族からこっそり院内に持ち込んでもらい、夢中で食べていた記述が…。それ、病院的に大丈夫だったんでしょうか?

しかし、そうした悪食すれすれの嗜好食に偏った生活が、あの精力的な作家活動に結びつき、独特な世界観を生み出す源になった?…などとも思えるのです。

さて、一般には美容の大敵とも言われる、そのような悪食・嗜好食。

もともとの生活がヘルシーでそういったものとは無縁に過ごしてきた、というような人もいるかもしれませんが、世の中のほとんどの人は、ダイエットの必要性に駆られたとき、「痩せた〜い!でも食べた〜い!」というアンビバレントな気持ちに翻弄された記憶があるはず。

ここで好物を我慢することができれば体重減に繋がる…!とばかりにストイックに嗜好食を避けることが大事なのでしょうか。

私はそうは思いません。「そんなに食べたかったら、いっそもう、食べてしまえ!」というのが私の信条です。

一見ヘルシーな健康食、と見えるものも、そればかりを大量摂取していたら、結局のところ、栄養が偏ることになり、ヘルシーとはいえない嗜好食ばかり食べていることと、さほど大差はなくなってきます。

低栄養というのもまた、肥満の一因となってしまうことが多いからです。

「バランスよく食べなさい」というのは、ダイエット時に限らずとにかく、よく聞かれるコトバですが、そのバランスの中に、悪食・嗜好食を一部加えて満足感を与える、ということも実はダイエット成功のひとつの鍵なのかな、と思っているのです。

我慢しすぎてストレスを溜めるのは本当によくないことです。結果的に何キログラムか痩せたにせよ、ストレスは肌コンディション悪化という形でにたちまち現れてきますし、表情も暗くなりがち。

それよりは適度に好きなものを食べてリラックスした方が、よっぽど効率的にダイエットできるはずだと思うのです。

もちろん、どんなものでも食べ過ぎはよくないですよ?

アメリカ人、フランス人を見習う!コスメポーチダイエット化計画

こんな話をご存じでしょうか? 各国の女性に「もし、コスメを一種類だけ持っていくとしたら何を選ぶ」と尋ねるのです。

アメリカ人はマスカラ、フランス人はチークを選ぶ、と言われています。

さて、では我らが同胞、日本人は?

実は日本人は、先進国と言われるどの国の女性よりスキンケア命の民族。コスメアイテムをどれかひとつを選ぶ、ということが非常に難しいのだそうです。

同じ日本人でも30年前の10代〜20代の若い世代はとりあえず、リップカラーを持っていたと記憶しています。少し前の“目力”ブーム時代ならきっとアイライン、…しかし、それは肌のピチピチした若い世代だから、一本選べただけのこと。

お肌の曲がり角を迎えた30代以上なら、「どれかひとつ?ひいいいい〜勘弁して下さい〜」と情けない声を出すこと必至でしょう。美容に関心の高い人ならなおのことです!

日本国内には、海外ブランド製と称したありとあらゆるスキンケアアイテムが揃っていますし、ドラッグストアなどでわりと安価に手に入れることもできます。

しかし、海外旅行をされた人ならご存じのように、それらのアイテムは実際には本国では使われていないことがほとんど。海外ブランドの名を冠しながらも、実は日本人の肌のためだけに開発された日本専用商品なのです。

海外のドラッグストアに出かけて、日本よりコスメアイテムが少ないことに衝撃を受けた、という方も少なくない思います。

女優やモデルたちならばともかく、一般の人たちは、限られた数種類のコスメアイテムのみでお手入れしていることが多いのです。

「コレ一本で!」というようなキャッチコピーで、オールインワン化粧品というものも売られていますが、実際に「コレ一本で!」済ませている人は少数派であるというデータもあります。

実際に一本で済ませているような人は、「貧乏くさい」などと陰口を聞かれてしまうこともあるとかないとか。

日々、丁寧なスキンケアを重ねることはけっして悪いことではありません。

自分の肌に合った、使用感のすぐれたコスメを使えば、確実に肌は美しく保たれますし、もとから肌質がよい上、お手入れに余年のない東洋人の肌は「ベビースキン」といって欧米人にとって賞賛の的だったりもします。

しかし、「愛用のスキンケアライン、ひとつだけでも欠けたら、肌コンディションが悪くなってしまうから、みっともなくて外出もできない…」などというネガティブ暗示にかかることは心のために、お肌のために決していいことではありません。

アメリカ人、フランス人のように、究極のコスメアイテムをどれかひとつを選べ、とまでは言いません。

アクシデントがあり、お気に入りコスメが使用できないようなときでも楽しく過ごせるように、コスメポーチはパンパンにせず、少しダイエット、スリム化してみる工夫も必要かも知れません。

私がとくにオススメするのは、「しない美容」。普段からメークアップにとことん手を抜きまくる方法です。

いつも完璧なメークアップをしている人は、不測の事態がおこり、完璧な顔に仕上がらないとき、周囲から、「あれ?今日のあの人全然イケてない…?」「劣化?」などと思われてしまいがち。

しかし、普段から、たいして手をかけていなければ、そのような残念ギャップを与えることはありません。

その変わり、ここぞ!というときだけ、気合いをいれたメークアップをすれば、「あれ?あのひと、こんなに美人だったっけ?」と周囲の人に新鮮な驚きを与えることができ、いい気分になれること請け合いですよ!

イマドキ美人の賢い選択「友だちは用途・目的別にして正解」!

依存型友人関係、というものがあります。仲間と見なした限られた人たちとあらゆるシーンで一緒に過ごし、服装、持ち物などまでお揃いにしてみたり…。ママ友ワールドでは、よく見られる傾向のようです。

70代後半である私の母も若かりし頃は、気の合う仲間同士、子どもたちにお揃いの服を着せたり、お揃いのグッズを持つことが流行していた、なんて言いますから、今も昔もママ友気質というものは変わらないみたいですね。

そうした女性特有の現象を踏まえた上で、あえて私が提案するのは、「友だちは用途・目的別」で幅広く選ぶ、ということ。

心に余裕があり、表情にも心の豊かさの現れて魅力的な人というのは、概して広い交友関係を持っているものなのです。

八方美人というコトバは、世間的には、あまりよい意味合いでつかわれないようですが、四方八方に、いろいろなタイプの友人を持つことは大切だと思います。

「君子の交わりは淡き水の如く、小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」という有名な中国の故事があります。聞き慣れない“醴”というのは、甘いお酒のようなもの。

簡単に言えば、賢い人の交友というのはごくあっさりしていて、つまらない人間ほどベタベタとあまったるい人間関係を好む、というような意味です。

交友関係は広く、浅く。それでいて礼節があればいうことなし。八方美人で十分。なんたって“美人”がついてますから。

「心を開いた人でなかったら、悩みなど絶対に打ち明けられない…」と思うかも知れませんね!

愚痴をきいてくれる人というのは確かに大事。しかし、できれば、あまり親しすぎない間柄の方がベター。

と言うのも、近しすぎる関係の人だと主観が入りすぎ、問題解決に繋がるアドバイスを与えることは難しいからです。

相談者は近隣在住でない方がいい。噂というものはどこからか当人や近しい人物の耳に入るもの。対立関係にある人や団体名などはできれば、イニシャルトークで伝えるのがよいでしょう。

まったく関わりのない人に悩み事の詳細を伝えることは、相当な労力を必要としそうですね!

何も分からない相手に自分の置かれている状況を事細かに説明しようとすることで、あなた自身もその悩みと冷静に向き合い、分析せざるを得なくなります。

結果として、解決の糸口も見つかりやすくなるものなのです。

その際、絶対に本人に漏れることはないと思っても、やはり口の硬い人物を選ぶに越したことはないでしょう。

「その先は?」と膝を乗り出し興味を覚えてくれるように、自身の悩みを面白く語ることができるとしたら、さほど親密でない人にでも打ち明けてみることは可能でしょう。

複数の人から幅広い考え方を募れば、偏った狭い見識だけで考えるより、よっぽど建設的なよい解決方法が見つかるはず!

今後いろんなシーンで出会うことになる人たちと、ほどよい距離感の関係をどんどん築いていき、その中からこれは!と思えるあなたの用途・目的別にフィットした友人を選んでみましょう。

いくら気の合う人でも、なにもかもその人に求めるのというのは無理な相談。あなた自身だってそうでしょう?どんなに大事な友だちでもなんでもかんでも頼りにされたらウンザリしてきませんか。

ウンザリ気分は必ずや表情に出てきます。お互いのためになりません。ストレスを溜めず、心豊かに過ごし、笑顔美人になりたいなら、断然、用途・目的別友人選びがオススメ!

恋は確かに人を美しくはするけれど、不倫で得た美しさは紛いもの

美しくなるための手っ取り早い方法。それは“恋をすること”。

恋をしている人は、もれなく美しい。古今東西、それはあきらかなことなのです。

女性ホルモンが活性化され、新陳代謝がよくなって、老廃物が排出され、お肌がきれいになる、という科学的な根拠のほか、恋する人によく見られたい!という一心から、メイクやファッション、身だしなみに気を配るようになったり…。

たったひとりの運命の相手を恋するのでも、誰かのファンになることでも、…恋は恋。その人のことを考えればこの世は薔薇色、哀しみも苦しみも乗り越えられる、生きる活力が湧いてくる、たとえ、それが不倫の恋であっても…。

不倫、それは人の道を外れることを意味します。一般的に、不道徳とされることではありますが、いま現在、不倫に法的罰則はありません。

それでも、「恋愛は個人の自由」と割り切る人より、双方とも赤の他人であっても、「不倫は許さない!」と考える人が多いということは昨今の芸能人・政治家の過熱する不倫報道もあきらかになりました。

私個人は、赤の他人の不倫も、友人の不倫も、もう十分に大人なんですから、どうぞ存分に、勝手におやりなさい、と思っているのです。

不倫をしている人というのは、恋をしている人同様、垢抜けて美しくなるものなのです。

そして、それはそういったことに疎い人、人の恋バナなどにさほど興味がない人、子どもまでもが、…「あれ、あのお母さん、あんなに美人だったっけか?」などと気づくものですから、美しくなっていることはあきらかなのです。

にも関わらず、私は、不倫で得るような美しさは“紛いもの”だと考えているのです。はっきりと、子どもにも分かる美しさであったとしても。

恋をすることは自由。心はなにものにも縛られない。法律から姦通罪というものがなくなったのはよいことだと思っています!

罰されるのは人妻絡みで、妻帯者と未婚女性の場合はお咎めなし。むしろ、推奨されていたふしまであり、あきらかに女性蔑視の法律ですしね!

不倫カップルのどちらか、その両方にパートナーがあった場合、また、子どもがあった場合…。その不倫の恋愛情事が、誰の傷みもなく、遂行されるものだとは考えにくいからです。

不倫でない恋だって、誰も傷つけていないという保証はないですけどね…!

しかし、不倫相手のパートナーに対する優越感、略奪という背徳行為に対する悦び、…そうしたものを背景に成り立つ美しさは、実に薄氷の上に成り立つ脆く儚い夢のお城のようなもの。

目に見えて、子どもにすら分かるものだとしても、本当に美しいものかどうかは疑問なのです。

ずっとくたびれて、やつれていたけれど、最近、不倫の恋をしているらしく、着るものに構うようになって美しくなった、と周囲で噂される知人に久々に会いました。

実は、…彼女が不倫の恋をしているのは私が知る限り、二度目でした。

前回も、「最近、○○さんは着るものに気をつけるように美しくなった」と評判だったのですが、私は、「彼女なんだか、似合わない服を着ているな。不倫相手の好みなのかな…」と思ってしまったのです。

今回もそうでした。「あ〜、やっぱり似合わない服を着ている!」と。

彼女は、周囲が「着るものに構わない!」と呆れてしまう、そっけないTシャツ、ジャージ姿で、趣味に没頭しているときの方が、よっぽど本来持つ美しさを引き立てている、と常々私は感じていたのです。

しあわせならば、それでいい。けれど、家族や友人を犠牲にして、築いた脆い城の寿命は、けっして長いものではないと断言します。

「もう二度と愛せない…!」パートナーとのひとつ屋根の住まい方

もうかれこれ10年以上、家庭内別居を続ける友人がいて、「なぜ離婚しないの?」と尋ねたところ、「会話が成立しないからよ」という驚きの答えが…。

離婚への手続きを進めるためには、十分な話し合いをする必要がある。“あ・うん”の呼吸でもって相手との十分な距離を取る(相手と絶対に近づかない、相手と同じ空間にいないようにする)ことに慣れてしまった自分たちには離婚の話し合いすら持つことができない。

それが離婚しないことの答えだそうです。

“あ・うん”の呼吸、というのは仲の良いおしどり夫婦に使うコトバで、家庭内別居の夫婦がつかうのはユニークですよね。

もう二度と愛せない相手とひとつ屋根で暮らすために、彼女のように、“もう何も考えない”というのも、ひとつの手だとは思います。

しかし、たいていはそこまで徹底的に相手を無視しつづけることは無理だと思います。実際に相手はそこにいて、息を吸い、動いているわけで、その痕跡だって残っているわけでしょうから。

彼女にしても、“もう何も考えない”と自分に暗示をかけているだけで、実際のところ、さまざまな思いが頭の中を駆け巡っているのでしょう。そこに、あえてフタをしているだけなのかもしれません。

それができるなら、それでいいのだと思います。無用な接触とトラブルを避け、それなりにおだやかな日々を過ごしているのだとしたら。

早々に離婚をして別の道を歩き始めた方がいいのは、夫婦間での暴力や罵り合いを間近で子どもが見ていて悪影響を受けてしまったり、暴力の犠牲になることから避難させなければならないと考えるケース。

または、子どもがおらず、双方が金銭的に自立していたら、一緒にいる意味もない、と判断し、さっさと離婚の道を選ぶかもしれません。

もし今、パートナーのことはもう二度と愛せない、と思い詰め、しかし、金銭的な事情、あるいは子どもの親権を考えたら、安易な離婚・別居は難しい、と考えていたら…。

なおかつ、部屋の中にはパートナーの存在の証がありありと残っており、100%相手の存在をないものとして無視して暮らしつづけることはできないとしたら…。

そのときは、「100歩譲って」とことん相手と会話をしてみて欲しいのです。「なぜ、私はここまでこんなに我慢してきて、その上、100歩も譲ってやんなきゃならないの!」と思うに違いないと思います。

仮にあなたが100歩譲ったところで、相手が100歩どころか1歩も譲ってないと考えるなら、100歩も無効です。今度は1000歩譲って下さい。どこまでも譲って相手が気分良く話し始めたら…。

それがチャンスです。けっして、途中で話の腰を折ったりしてはいけませんよ?あくまで聞き役に徹することです。

「何をしたいのか。何をして欲しいのか。何をされてイヤだったか…」あなたにとっては耳の痛いコトバかもしれません。もしかしたら、「え。そんなくだらないことなの?」と拍子抜けする話かもしれません。

思う存分、言いたいだけ言わせて、相手をとことんスッキリさせて…。ようやく、あなたの番です。

「私だってね…!」と言い返しますか?それは仲良し夫婦ですね。きっとこの先はひとつ屋根の下、ケンカしながら円満な家庭が築けると思いますよ!

言い分をすべて聞いて、「ああ、やっぱりやってらんない!こんなくだらないヤツだったんだ!」と気づくことができたら。さあ、これからはできるだけ、あなたに優位な方法で別れ話を進めましょう。

あなたの明日の笑顔のために…。

「子どものために…」がかえって毒に!?ストップ!子育てNG行為

子どもを置き去りに恋人の元に走ったり、パチンコなどのギャンブルに興じる…。そこまで行かなくとも、まとわりついてくる子どもそっちのけでスマホ操作に夢中…。そういう母親たちが、世間の非難の的になることは容易に想像がつきます。

少なくとも、わが子を愛し、大切に慈しみ育て、自己犠牲を払うことを厭わない母親が批判の対象となることはまず考えられませんよね?

しかし、実際に、世に言う「高学歴・高収入」の道にすすむ可能性が高く、それ以上に、夢を実現させ、自身の生き方に満足し、誇りを持ち、今のコトバでいうところの「リア充」で過ごしている若者の多くは、「親から手をかけられすぎた子ども」ではなく、ある意味放任に近い育てられ方をした子どもだった、という報告があります。

「放任に近い」というと、「放任とどう違うの?」という疑問が生まれてくるかもしれませんね!では、次の2つのケースをご紹介しましょう。

Aくんのお母さんは早起きが苦手で、Aくんは、朝食や弁当を自分で用意するようになった。帰宅後は学校や部活であったことなど母親と話す機会も多く、相談などもしやすいと言う。

Bちゃんのお母さんは、PTA活動やボランティアに忙しく、ほとんど家にいない。しかし、地域で母親が活動している様子を頻繁に目にし、友人・知人の多い母親はBちゃんの自慢でもあった。

Aくん、Bちゃんのお母さんはある意味、「放任に近い」状態かもしれません。実はこの二人、中・高生になった時点で成績が常に学年トップ3以内、部活動でも好成績を残し、さらには生徒会長を務め、学内外のイベントにも積極的に参加していたのです。

成績がよい上、何事にも積極的に参加する子どもというのは、ほんの一握り。

もちろん、地域の中で成績のよい子どもというのも相当数存在しますし、イベント大好き!お祭り大好き!という子どももたくさんいます。

しかし、その両方を満たすとなると、人数は少数に限られてしまう。その中の大多数の子どもが、AくんやBちゃんのお母さんのように、「さほど子どもに手をかけすぎなかった」親というのは象徴的です。

眠い目をこすりながら、お弁当をつくり、手の込んだ朝ご飯を用意する…。その方が世間的には「美しく正しい母親像」かもしれません。美しく、正しくはなかったけれど、帰ってきたAくんの学校であった話をゆったり聞き、受け止める、その余裕がAくんのお母さんにはきちんとあったのです。

Bちゃんは、自分の母親がよその母親のように自分だけを特別にかわいがっているようには思えなかった、と言います。しかし、よその子どもからも慕われている母親をみて、「ああ、この人はみんなのお母さんなんだな」と思えて嬉しかった、と言います。

大多数の子どもは、「勉強がキライで、行事の参加に消極的、自己評価が低い」傾向にあると言います。

そのような子どもの母親の多くが、いちばん最初に挙げたような「育児放棄」の母親ではなく、「わが子を愛し“過ぎ”、大切に慈しみ育て“過ぎ”、自己犠牲を払うことを“厭わなさ過ぎた”母親たち」であるということを是非知ってください。

子どもにとって本当によい母親とは? 自己犠牲が実はただの自己満足に過ぎないとしたら…? 再考してみるときかもしれません。

自尊感情の高い子どもの母親たちはたいてい、ゆとりがあって、他人に対してもとてもおおらかです。それが表情にもよくあらわれているようでした。

ママ友や仕事仲間からのやっかみや嫉妬と上手につきあう方法

ママ友や職場の同僚から、不当な扱いを受けたり、厳しく接されたり、自分に対しての陰口を言われたり…。

もとから、そういう性格の人だというなら諦めもつくけれど、自分以外の人とは友好的な関係を築いているように見える。自分にだけ、そのような態度をとられる理由に、思い当たるふしがまるでない。

そんなとき、「自分では気づかないだけで、実は私、あのひとに不利益をもたらすようなことを何かしでかしてしまったのだろうか…」などとあれこれ思い悩む必要はまったくありません!

コミュニケーションに難があると思えない人が、自分にだけつらくあたる理由、それは「嫉妬、やっかみ」に他ならないからです。

相手からの「嫉妬、やっかみ」攻撃をかわすのに、いちばんよい方法は、「あのひと、自分が持っていないものを持っている私のことが羨ましくて、妬ましくてしょうがないのね!ふふん」と開き直ってしまう作戦なのですが、…これはあなたにとっては、ちょっと難しいことかもしれませんね!

あなたがそのように、相手からの攻撃をさっさと受け流してしまえるようなサッパリ、キッパリとしたキャラクターなら、いくら妬ましく思っても相手はそんなネチネチした態度を取らないはずだからです。

相手はあなたを「痛めつけ」、「傷つく姿を見て」、自分の方が優位にある、立場が上なのだと安心し、自分の中に芽生えた、あなたに対する敗北感の憂さ晴らしをして満足しているからです。

どんなにネチネチした攻撃をされても、「は?それがなにか?」とあなたがまったく堪えていない様子を見てしまったら、ネチネチ攻撃による満足は得られませんから、せいぜいあなたに聞こえないよう、小声で陰口を言う程度で済まされるでしょう。それはそれで十分にイヤなことですけれどもね…。

自ら「強い女」を標榜するような女性は、「目には目を!歯には歯を!」「やられたらやり返す!倍返しだ!」とばかりに今度は自分が相手を攻撃する方向に出るかも知れません。

もし、あなたにそういう、強いお友だちがいたら、「黙ってないで、アンタもやり返しなさいよ!」なんて言われるかもしれません。

しかし、これは相手にとって逆効果。同じ方法で応戦すれば、相手もさらに、とエスカレートし、火に油を注ぐ結果になること間違いなし!

それどころか、そんな意味不明の戦いになだれ込んだあなたの表情はどんどん険しくなり、心も荒廃し、ブスへの道へ真っ逆さま!…なんてことにもなりかねません。

「強い女」を気取るのは、「繊細な女」であることの裏返し。相手にキツイ態度を取る人は、実際には脆い人であることが多いもの。

頑健なボディと、相手を一撃にする拳を持つ人は、武器をチラチラさせなくても相手が逃げていきます。

ひよわなカラダ、ネコパンチほどの威力もない拳の持ち主は、「強い相手」を前に、まず、飛び道具をちらつかせて自分の身を防御するしか術がないのです。

あなたにやっかみや嫉妬を感じている人は、あなたを「自分に向かってくる強い敵」とみなし、強いコトバや卑怯な態度という飛び道具をちらつかせ、自分の身を防御しているに過ぎません。

そうした相手にあなたがとる態度はひとつ。必要以上に目を合わせない。目が合いそうなら、目尻を下げて微笑む。

微笑みは最強の武器。視線をぶれさせ、相手の憎しみに燃えた目を真っ正面に捉えてしまうことから避ける効果もあります。

あなたの予想外の微笑みに、相手は「なぜ?」と戸惑い、勝手にあれこれ妄想を膨らますことになるでしょう。それによって、しばらくは休戦状態がつづくはずです!

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