LGBTというコトバを最近よく耳にします。これは性的少数者を示す頭文字を取った造語です。

Lはレズビアン、女性を愛する女性のこと。Gはゲイ、男性を愛する男性。この2つは性的指向が同性へと向けられています。

Bはバイセクシャル、男性、女性、どちらも愛せる人。最後のTはトランスジェンダー。心とカラダの性の一致しない人を指します。

このトランスジェンダーに対する支援が近年、高まりを見せていますが、そのことに、わずかなひっかかりを感じてしまうのです。

心と肉体の性別の違和感を解消するため、適合手術を受ける。あるいはホルモン剤を投与する。

理解ある医師の元で安全な治療を受け、「やっと本来の性に戻れた!」マスコミの取材を受け、喜びの声を伝える、元トランスジェンダー。

その人の性的指向が男性から女性、女性から男性に向けられるものなら、同性愛を「正しい夫婦の形ではない!」として認めない一部保守系の人々も受け容れ、支援に異を唱えることはありません。

しかし、心と肉体の乖離を解消した上で、同性への愛を選んだとしたら、保守派は支援に難色を示すことになるでしょう。

同性愛指向を持つ男子が、LGBTについてあまり知識を持たない大人たちから、「男が好きならば、女性になればいい」というような間違った認識を植え付けられることはないでしょうか。

男子はよく分からないまま、実際には必要のなかった適合手術を受けさせられる羽目に陥らないか。そんなふうに考えてしまうのです。

世間的にトランスジェンダーに関しての認識は深まりつつある気がします。

「自分(男)が男しか愛せないのは、実は心が女だからだ」

そう考えるのは、一般常識に凝り固まった人にもわかりやすい事例だからです。

しかし、男性が好きな男性が、必ずしも女になる必要はないし、女っぽく振る舞う決まりもないのです。

逆も同様。女性が好きな女性が、男性っぽく振る舞う必要はないし、少女歌劇団のように「男役・女役」を振り分ける理由もありません。

もし、同性愛に対し差別がない世の中なら、トランスジェンダーという存在はここまで明らかにされなかった、と思います。

もし、同性愛に対する差別のない世界だったら。

もしかしたら、今現在トランスジェンダーと診断された人のうち何パーセントかは、適合手術もホルモン投与も必要なく、生まれついた性を素直に受け容れられるのではないか、と思うのです。

好きになった人がたまたま異性だった、同性だった。ただそれだけ。
性的少数者LGBT、などと括る必要も、区別する必要もないのです。

男として女の恋人と暮らし、生活費を稼ぐために女として男を騙し、金を奪っていたという、トランスジェンダーの窃盗犯が話題になったことがありました。

もしかして彼女(彼)は、女の恋人のためにわざわざ男を装っていたのでは?と私は思ったのです。

男である自分が本来の自分で、犯行がバレないよう、女装していた、というのがことの真相かもしれないのですが…。

お伝えしたかったのは、愛のカタチは「異性から異性に向けた」ものだけではないということ。

私のトランスジェンダーに対する理解は間違っているかもしれない。しかし、たまたま愛した人のためだけに、“美”の基準を変えて欲しくはない。

できることなら、愛する人には、ありのままの性の自分を受け入れてくれる人を見つけて欲しい、と強く思うのです。