子どもを置き去りに恋人の元に走ったり、パチンコなどのギャンブルに興じる…。そこまで行かなくとも、まとわりついてくる子どもそっちのけでスマホ操作に夢中…。そういう母親たちが、世間の非難の的になることは容易に想像がつきます。

少なくとも、わが子を愛し、大切に慈しみ育て、自己犠牲を払うことを厭わない母親が批判の対象となることはまず考えられませんよね?

しかし、実際に、世に言う「高学歴・高収入」の道にすすむ可能性が高く、それ以上に、夢を実現させ、自身の生き方に満足し、誇りを持ち、今のコトバでいうところの「リア充」で過ごしている若者の多くは、「親から手をかけられすぎた子ども」ではなく、ある意味放任に近い育てられ方をした子どもだった、という報告があります。

「放任に近い」というと、「放任とどう違うの?」という疑問が生まれてくるかもしれませんね!では、次の2つのケースをご紹介しましょう。

Aくんのお母さんは早起きが苦手で、Aくんは、朝食や弁当を自分で用意するようになった。帰宅後は学校や部活であったことなど母親と話す機会も多く、相談などもしやすいと言う。

Bちゃんのお母さんは、PTA活動やボランティアに忙しく、ほとんど家にいない。しかし、地域で母親が活動している様子を頻繁に目にし、友人・知人の多い母親はBちゃんの自慢でもあった。

Aくん、Bちゃんのお母さんはある意味、「放任に近い」状態かもしれません。実はこの二人、中・高生になった時点で成績が常に学年トップ3以内、部活動でも好成績を残し、さらには生徒会長を務め、学内外のイベントにも積極的に参加していたのです。

成績がよい上、何事にも積極的に参加する子どもというのは、ほんの一握り。

もちろん、地域の中で成績のよい子どもというのも相当数存在しますし、イベント大好き!お祭り大好き!という子どももたくさんいます。

しかし、その両方を満たすとなると、人数は少数に限られてしまう。その中の大多数の子どもが、AくんやBちゃんのお母さんのように、「さほど子どもに手をかけすぎなかった」親というのは象徴的です。

眠い目をこすりながら、お弁当をつくり、手の込んだ朝ご飯を用意する…。その方が世間的には「美しく正しい母親像」かもしれません。美しく、正しくはなかったけれど、帰ってきたAくんの学校であった話をゆったり聞き、受け止める、その余裕がAくんのお母さんにはきちんとあったのです。

Bちゃんは、自分の母親がよその母親のように自分だけを特別にかわいがっているようには思えなかった、と言います。しかし、よその子どもからも慕われている母親をみて、「ああ、この人はみんなのお母さんなんだな」と思えて嬉しかった、と言います。

大多数の子どもは、「勉強がキライで、行事の参加に消極的、自己評価が低い」傾向にあると言います。

そのような子どもの母親の多くが、いちばん最初に挙げたような「育児放棄」の母親ではなく、「わが子を愛し“過ぎ”、大切に慈しみ育て“過ぎ”、自己犠牲を払うことを“厭わなさ過ぎた”母親たち」であるということを是非知ってください。

子どもにとって本当によい母親とは? 自己犠牲が実はただの自己満足に過ぎないとしたら…? 再考してみるときかもしれません。

自尊感情の高い子どもの母親たちはたいてい、ゆとりがあって、他人に対してもとてもおおらかです。それが表情にもよくあらわれているようでした。