恋は確かに人を美しくはするけれど、不倫で得た美しさは紛いもの

美しくなるための手っ取り早い方法。それは“恋をすること”。

恋をしている人は、もれなく美しい。古今東西、それはあきらかなことなのです。

女性ホルモンが活性化され、新陳代謝がよくなって、老廃物が排出され、お肌がきれいになる、という科学的な根拠のほか、恋する人によく見られたい!という一心から、メイクやファッション、身だしなみに気を配るようになったり…。

たったひとりの運命の相手を恋するのでも、誰かのファンになることでも、…恋は恋。その人のことを考えればこの世は薔薇色、哀しみも苦しみも乗り越えられる、生きる活力が湧いてくる、たとえ、それが不倫の恋であっても…。

不倫、それは人の道を外れることを意味します。一般的に、不道徳とされることではありますが、いま現在、不倫に法的罰則はありません。

それでも、「恋愛は個人の自由」と割り切る人より、双方とも赤の他人であっても、「不倫は許さない!」と考える人が多いということは昨今の芸能人・政治家の過熱する不倫報道もあきらかになりました。

私個人は、赤の他人の不倫も、友人の不倫も、もう十分に大人なんですから、どうぞ存分に、勝手におやりなさい、と思っているのです。

不倫をしている人というのは、恋をしている人同様、垢抜けて美しくなるものなのです。

そして、それはそういったことに疎い人、人の恋バナなどにさほど興味がない人、子どもまでもが、…「あれ、あのお母さん、あんなに美人だったっけか?」などと気づくものですから、美しくなっていることはあきらかなのです。

にも関わらず、私は、不倫で得るような美しさは“紛いもの”だと考えているのです。はっきりと、子どもにも分かる美しさであったとしても。

恋をすることは自由。心はなにものにも縛られない。法律から姦通罪というものがなくなったのはよいことだと思っています!

罰されるのは人妻絡みで、妻帯者と未婚女性の場合はお咎めなし。むしろ、推奨されていたふしまであり、あきらかに女性蔑視の法律ですしね!

不倫カップルのどちらか、その両方にパートナーがあった場合、また、子どもがあった場合…。その不倫の恋愛情事が、誰の傷みもなく、遂行されるものだとは考えにくいからです。

不倫でない恋だって、誰も傷つけていないという保証はないですけどね…!

しかし、不倫相手のパートナーに対する優越感、略奪という背徳行為に対する悦び、…そうしたものを背景に成り立つ美しさは、実に薄氷の上に成り立つ脆く儚い夢のお城のようなもの。

目に見えて、子どもにすら分かるものだとしても、本当に美しいものかどうかは疑問なのです。

ずっとくたびれて、やつれていたけれど、最近、不倫の恋をしているらしく、着るものに構うようになって美しくなった、と周囲で噂される知人に久々に会いました。

実は、…彼女が不倫の恋をしているのは私が知る限り、二度目でした。

前回も、「最近、○○さんは着るものに気をつけるように美しくなった」と評判だったのですが、私は、「彼女なんだか、似合わない服を着ているな。不倫相手の好みなのかな…」と思ってしまったのです。

今回もそうでした。「あ〜、やっぱり似合わない服を着ている!」と。

彼女は、周囲が「着るものに構わない!」と呆れてしまう、そっけないTシャツ、ジャージ姿で、趣味に没頭しているときの方が、よっぽど本来持つ美しさを引き立てている、と常々私は感じていたのです。

しあわせならば、それでいい。けれど、家族や友人を犠牲にして、築いた脆い城の寿命は、けっして長いものではないと断言します。