本当に信頼できる友だちは何人いますか?あなたはその友だちのどういったところに好感を持っているのでしょうか。

「あなたは可愛いし性格もいいしオシャレでセンスがよくてホントに羨ましい。あなたみたいな素敵な人と友人でいられることが私の自慢なんだよ!」なんて。

思わず頬がゆるんでくるようなコトバを始終言ってくれるような友人。たとえお世辞だとしてもやっぱり嬉しいじゃないですか。

生きる意欲も湧いてきますし、外でちょっとイヤなことがあっても、「彼女がいるから大丈夫!彼女が私を認めてくれる」とポジティブになれます。

自己肯定感の低い人は、ぜひこうした人を友人に持つべきだと思いますね!

しかしながら、身内でガッチリ固められ、いつも「あなたは悪くない」「あなたが最高」という世界で暮らしているということは、裸の王様であるのと一緒。

傍目からは、「なんなんだろうなあ、あの人たち」なんて思われていることでしょうし、狭い価値観でがんじがらめになってしまっているので、身内以外の人との交流はどんどん難しくなってしまう。心の成長を妨げてしまうのです。

自分にとってぬるま湯のように心地よい人間関係であったとしても、ずっとその場から動かないでいたら、いつしか、そのぬるま湯はどんどん濁ってくるもの。

友人の優しさ、自分への賞賛はまったく変わらないはずなのに何かが違う…。ちっとも楽しくない。

しかし、そこから一歩、勇気を出して踏み出てみたところで、ぬるま湯に慣れた体は他に適応できないのです。もう一度古巣に戻るしかありません。そうして、マンネリズムのルーティンをつづけていくことしか…。

損得のない友情から発した無条件の承認、賞賛は、あなたを幸福の渦の中に包みこんでくれるでしょう。

友人のいない人生は、恋人のいない人生より何百倍もせつない。それが私の持論ですから、友人はいるに越したことがない。絶対に。

友人とは、一緒にいて心地よいことも大事ですが、「言いたいことを言い合える」というのも必要なのかな、と思います。

ズケズケ欠点をあげつらうのもなんですが、しかし、ときに辛口なアドバイスが苦境を救うことだってあります。

自分を絶対に否定することのない、そんな素晴らしい友だちに囲まれているとき、周囲の耳障りと思える意見にちょっと耳を傾けることが案外重要なのかもしれません。

それを私は「敵からの塩」と命名しました。傷口にすり込まれる塩はイタイ。しかし、塩は消毒になり、人間の生活に必要不可欠なもの。

意地悪に聞こえる(本当に意地悪で言ってることかもしれない!)、ライバルや、気が合わないと思う人の発している自分への評価。誹謗、中傷。

それを受け入れるのは、ものすご〜くイタイかもしれないけど、それに耳を傾けてみる。

発想の転換をしてみる。「どうしてあの人は、そんなことを言っているのだろう。なんの根拠もないのに」

「根拠、実はあるのかもしれない。私にも思い当たる節はあるのかな…」「いやいや。やっぱただのやっかみだよね!」

そこには優しい友だちの温かなアドバイスからは得られない、よりよい人生に向けての大事なヒントが詰まっているかもしれないのです。ライバルが意図したことではなかったにせよ。

そのことはあなたの心の成長のための糧となるでしょう。そして、その成長こそが、また一歩、あなたを真実の美へと近づけることになるのです。